が、これらを分解してみれば、大阪駅には東海道本線と大阪環状線の2路線しか乗り入れていないということになる。他のダンジョン駅、たとえば東京駅や新宿駅などと比べれば、よほどシンプルだ。
迷うところと言えば、慣れていないと行き先がわけわからん、新三田行きに乗ったら神戸に行けるの? 行けないの? くらいなもので、それはもう乗り換え案内アプリと組み合わせて攻略するしかない。大阪駅自体は、その壮大さに気圧されることなく落ち着いてアプリと案内板に従って振る舞えば、さして難しい駅ではないのである。
とはいえ気になることが…
それでも気になる点といえば、改札口の多さだ。大阪駅にもいくつかの改札口があり、高架ホームのさらに上の地上3階部分には連絡橋口、ホームから地上に降りると東から御堂筋口・中央口・桜橋口などがある。
特徴的なのは連絡橋口で、改札の先にはホームを跨いで駅の南北を結ぶ連絡通路。南北ともに駅ビル(北はルクア、南は大丸だ)に続く。北側に行ってみると、エスカレーターで地上に降りていくその途中、奥には何やら工事中のエリアが見えてくる。かつて梅田貨物駅という貨物専用の駅だったスペースである。
不毛の地だった「大阪」周辺
大阪駅が開業したのは1874年のことである。その頃の大阪駅周辺はどうだったかというと、大阪の市街地から北に外れた不毛の地。「梅田」の地名は低湿地帯を埋め立てて田畑にした、“埋田”が由来だという。つまりそれくらいの不毛の地に設けられた駅だったというわけだ。
少し南側には北新地、江戸時代以来の歓楽街が広がっているが、かつてはこの北新地あたりが“大阪”の北限だったといっていい。大阪駅は、市街地の北の外れに生まれたターミナルだったのだ。
ここではどうして大阪駅が市街地の北の外れにできたのかという疑問も生まれるが、これを深掘りしていくと1冊の本になってしまう。簡単に触れておくと、神戸方面と京都方面、双方に鉄路を延ばすことを前提にすると、市街地への乗り入れは遠回りになってしまうから。そんなわけで、大阪の北の外れの不毛の地に、ターミナル・大阪が誕生したのである。
いくら不毛の地といっても、街の玄関口たるターミナルができれば周辺は賑わう。当初は梅田にできた駅ということで「梅田すてんしょ」などと呼ばれていたようだ。1906年には阪神、1910年には阪急(当時は箕面有馬電気軌道)の梅田駅も開業する。