1999年に山口県光市で発生した光市母子殺害事件では、当時18歳だった犯人により主婦の本村弥生さん(当時23)が暴行・殺害され、生後11か月だった夕夏ちゃんも殺害された。
事件そのものへの関心もさることながら、少年法のあり方、弁護団の方針、公判における荒唐無稽な主張などが社会に大きな波紋を呼んだ。
2020年12月、殺人や強姦致死などの罪に問われ、死刑が確定した死刑囚の再審請求について、最高裁は弁護側の特別抗告を棄却。再審開始を認めない判断が確定している。
※本記事は、代表作に山口県光市母子殺害事件の遺族を描いた『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日―』などがある、作家・ジャーナリストの門田隆将氏による「文藝春秋」2010年10月号の特集「真相 未解決事件35」への寄稿を転載したものです。(肩書・年齢等は記事掲載時のまま)
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死刑判決を受けた翌朝、面会室で対面
目の前の青年は、優しい目をさらに細めて私にこう語りかけてきた。
「僕は、海の近くで育ったんで時々、海が恋しくなります。潮の香りを嗅ぎたいし、風にあたりたいですね。これは本能でしょうか」
2010年7月12日。私は、広島市の中心地に建つ広島拘置所にいた。ここに収監中の光市母子殺害事件の犯人・F(23)と面会室の3番ブースで向かいあっていたのだ。
山口県光市の美しい海のもとで育っていたFは、事件以来もう11年も、海の風景から遠ざかっている。無機質な拘置所の壁は、潮の香りをFのもとに運んで来てはくれないのである。
私とFが初めて広島拘置所の面会室で向かいあったのは、2008年4月23日。差し戻し控訴審でFが“逆転”の死刑判決を受けた翌朝のことだった。
面会を拒否されると思い、一縷の望みを持って拘置所を訪ねた私に、Fは、判決翌朝の心情を淡々と語ってくれた。その時の模様は、拙著「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮文庫)に詳しく書いているが、私は、死刑判決に対して、「胸のつかえが下りました」と語るFの表情を、驚きをもって見つめた。それは、法廷で見せていた表情とあまりに異なるものだったからである。