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未解決事件を追う

光市母子殺害事件 死刑判決の翌朝、広島拘置所で聞いた元少年の肉声「胸のつかえが下りました」

光市母子殺害事件 死刑判決の翌朝、広島拘置所で聞いた元少年の肉声「胸のつかえが下りました」

2021/08/30

source : 文藝春秋 2010年10月号

genre : ニュース, 社会

note

「性行為は生き返らせるための復活の儀式だった」の真意

 Fは差し戻し控訴審で「母への甘えたさからただ抱きついただけだった」、「性行為は生き返らせるための復活の儀式だった」……との主張を繰り返し、裁判を注視する国民の怒りを買った。

 判決でもその主張は厳しく断罪された。しかし、優しい目で自らの罪の重さを語る目の前のFの姿も厳然たる事実なのである。

 私はFと向かい合いながら、犯罪者にとって反省が深まった末にいきつく先とは何か、を思い浮かべた。反省と悔悟、そして贖罪に目覚めることは、犯罪者にとって最も重要なことである。しかし、その犯罪があまりに無惨なものの場合、自分の罪と向き合った犯人は一体どうなるだろうか。罪の重さに愕然として、自殺、あるいは発狂という事態に陥ることもあると聞く。それを防ぐために、人間は往々にして防御本能を発揮し、無意識の内に自己の行為に「理由づけ」をおこなうことがあるということを、私はこれまで多くの司法関係者から聞いている。

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写真はイメージ ©iStock.com

 あの奇想天外な主張こそ、実はFの反省が深まっている証拠ではないかと私は思った。

 反省に目覚め、罪の重さに慄然とするFの姿。Fの贖罪の意識についてはさまざまな考察が加えられるだろう。潮の香りを懐かしむFの姿に、反省のかけらも窺えなかった第一審の山口地裁での姿との違いに、ただ「人間」という存在の奥深さを私は、しみじみ考えるのである。

光市母子殺害事件 死刑判決の翌朝、広島拘置所で聞いた元少年の肉声「胸のつかえが下りました」

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