近すぎるとギクシャクする。離れると気になってくる。双子というのは付かず離れず、いつまでも距離感をつかめないままなのだろう。

 広島・石原貴規捕手(23)は二卵性双生児の兄。ともに野球をしてきた双子の弟・弘道さんとは、ライバルというか盟友というか、何とも複雑な関係だ。

石原貴規

 2人は少年野球から高校・創志学園まで同僚としてプレーした。そんな双子について聞くと、石原は苦笑いを浮かべる。「双子で良かったことは、キャッチボール相手が近くにいることぐらいですよ」。双子とはいえ、ときには会話の少ない時期もあったと言う。

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 幼少期は何をするにも2人一緒だった。母・衣津美さんから「ちょっとそこで待っててや」と言われれば、2人でじっと待ち続けている。手のかからない、おとなしい双子だった。

 野球も一緒に始めた。「自分が決めたチームで野球がしたい」。一緒に見学に行き、気に入ったチームも同じだった。転校を機に小学3年から「宝塚リトル」に入団した。

「才能は弟の方がありましたよ」

 高校進学を前に、先に進路を決めたのは弟・弘道さんだった。兵庫の実家を離れて岡山・創志学園への進学を希望していた。一方の兄・石原も創志学園に行きたかった。しかし、双子そろって家を離れていいのか悩み、母親に言い出せずにいた。その思いを知った母は「自分が決めたチームでやるっていう約束やったやん」と背中を押してくれた。そして、高校も2人一緒に創志学園に進むことになった。

 双子が同じ場所にいれば、当然比べられる。同じ部活ならば、なおさらだ。ましてや、高校生という多感な時期。2人の空気感は変わり、ミスをすれば片方が遠慮なく注意するようになった。同僚からは「それで毎回、雰囲気が悪くなるねんけど」とあきれられるほどだった。

 そして、別々の大学に進んだ。弟・弘道さんの内心は「大学まで貴規と一緒はもうええかな」。関東の強豪私立大学で野球を続け、石原は天理大を選んだ。2人は初めて離れて暮らすことになったのだ。

 そばにいなければ、素直になれた。弘道さんは「あの捕手より絶対、貴規の方がうまいわ」「貴規の余裕のある感じって腹立つよな(笑)」と周囲に話していたと言う。石原も「僕は捕手だからプロになれたようなもので、才能は弟の方がありましたよ」と振り返る。年に1度、天理大の関東遠征時に組まれる練習試合で直接対決するのが楽しみだった。