生まれ故郷が嫌いだと吐き捨てるように言った沖縄の若者との出会いを原点に、社会学者・打越正行氏は、沖縄の若者たちの調査を始めた。生きていくために建設業や性風俗業、ヤミ仕事に就いた若者たち。かれらが就いた仕事も、生活スタイルもさまざまだが、その大半が過酷だった。
そんな中で、若者たちはどのように沖縄を生き抜いてきたのだろうか。10年以上にわたって、かれらとつき合ってきた打越氏による『ヤンキーと地元』(筑摩書房)から一部抜粋して、紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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暴走族のパシリになる
私は広島市で暴走族少年らへの調査を進めるなかで、次第に暴走族のパシリとなっていった。パシリとは「使い走り」のことで、おにぎりの買い出しなど、先輩たちの指示を忠実に実行する役割である。50円玉1枚で3人分の牛丼を買って帰るよう、10代の暴走族リーダーの少年に言いつけられたこともあった。
リーダー これ(50円玉)で(牛丼を3つ)買ってきて。
――ぜんぜん足らないっすよ。
リーダー あとで払うから。
――お願いしますよ。
......(結局、追加で100円しかもらえなかった)
――1個50円になってるじゃないですか(笑)。
リーダー 打越、大人なのにお金にうるさいなー。
普段はパシリとしてこき使うのに、支払いのときだけ大人扱いされた。当時は、パシリとしての役割をまっとうしようと気負っていたので、おにぎりを買う際には少し高めの、鮭と昆布のおにぎりを買って行った。リーダーの少年に渡すと、「なんでツナでないのか」とみんなの前で𠮟責された。この暴走族チームではツナが定番となっていたのだ。リーダーは、ツナを人数分買ってくるのが常識だと、他のメンバーの前で私のことを𠮟り飛ばした。深夜に暴走する彼らに、非常識だと𠮟られた。
ある週末のこと、暴走族のリーダーの少年が、「俺、最近警察に目をつけられているから、そろそろ補導されそうな予感がする」と話してくれた。私はその日、リーダーの少年に時間を割いて、話を聞いた。来週にも補導されるおそれがあったからだ。すると、帰り際になって、次期リーダー候補の後輩グループから、ビルの裏手に呼び出された。
後輩 おまえ調子にのっとんか。二度と来るな。(自分らが)OBなっても後輩の代になっても来るな。おまえ、リーダーにばっかり話聞いて、俺らには聞かんのんか。
――そんなことじゃなくて、リーダーが捕まるかもしれないって聞いたから。
後輩 黙れや。今まで録ったテープも使うなよ。使ったら許さんけえの。
――はー。
後輩 おまえ、いい気になるなよ。