生まれ故郷が嫌いだと吐き捨てるように言った沖縄の若者との出会いを原点に、社会学者・打越正行氏は、沖縄の若者たちの調査を始めた。生きていくために建設業や性風俗業、ヤミ仕事に就いた若者たち。かれらが就いた仕事も、生活スタイルもさまざまだが、その大半が過酷だった。

 そんな中で、若者たちはどのように沖縄を生き抜いてきたのだろうか。10年以上にわたって、かれらとつき合ってきた打越氏による『ヤンキーと地元』(筑摩書房)から一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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 暴走族の若者たちは、私のことを警戒していた。内地の大学生が、暴走族の取材に、わざわざ沖縄まで来ているというだけでも十分怪しいが、彼らは私のことを私服警官かもしれないと疑っていた。当時、暴走族の見物をしようとゴーパチに集まってきたのは10代から20代前半の若者たちだった。20代後半の私がそこにいれば当然、目立ってしまう。しかも、私を除けばそこにいる大人は私服警官だけだった。疑われても仕方のない状況だった。

 私服警官かもしれないと警戒されていた私は、コンビニで休憩する暴走族少年たちに声をかけても、地元や年齢といったことしか聞けず、そんなことを聞いてくるのは私服警官ぐらいだったから、調査はますます難航した。

撮影:深谷慎平氏

拓哉との出会い

 調査初日に声をかけた若者の1人が、「沖縄嫌い、人も嫌い」と吐き捨てるように言った拓哉だった。彼とは他の日にも会うことができ、調査に四苦八苦するなかで最初に良好な関係を築けた数少ない相手だった。人懐っこい性格の拓哉と一緒に行動することが増えていった。

 ある日、拓哉は暴走族仕様のバイクにまたがってゴーパチへ繰り出した。私が原付で追走すると、「打越、おもしろいなあ。ついてこれないと思ったら、ついてきてるじゃん」といって、喜んでくれた。他のグループの多くは、私が原付で追走すると、恥ずかしいといって距離をとるなか、拓哉だけはおもしろがってくれた。

 那覇や宜野湾のコンビニで座り込んでいる男の子や女の子に私が取材をしていると、拓哉が「なに、しかしてる[ナンパしてる]?」と割り込んでくることがあった。「しかしてるんじゃなくて、取材だ」と説明したが、わかってもらえなかった。

 別の日に拓哉から電話がかかってきて、「打越、いま北谷だけど、しかせる[ナンパできる]女の子たくさんいるから早く来い」という。しかしてるわけではないと説明しても理解してもらえないので、とりあえず北谷に向かうと、観光客の女性たちを、彼がナンパしたところだった。女性たちと話しているところに私も入れられ、会話が途切れると、「打越、がんばれよ」と励まされた。女性たちと別れ、2人きりになると、これまで過ごしてきた地元のことを聞かせてくれた。