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 このように役割分担をしていたので、1つの暴走族は少なくとも五人、多い時には10人を超えていた。小型バイクの運転ができない15歳以下の少年は小型バイクの後部座席にまたがった。

 そして16歳になると小型バイクを運転し、その後は大型バイクの後部座席、やがて大型バイクの運転手と、年齢に応じてそのポジションも変わっていく。

ゴーパチという舞台

 20歳すぎの地元の先輩たちはギャラリーとして見物し、後輩たちの暴走に「気合が入ってない」と判断すると、自ら110番して警察を呼びつけて、その場を盛り上げようとした。後輩たちは、警察の検問を強行突破したり、追走してくるパトカーに対して小回りのきくバイクで逃げ回ったり、公道を逆走したりした。こうした様子を一目でも見ようと、平日なら50人前後、週末なら100人以上のギャラリーが集まってきていた。

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撮影:打越正行氏

 国道を暴走する彼らは、ゴーパチという舞台の主役だった。警官たちはそれを盛り立てる脇役で、多くのギャラリーはその追走劇に興奮した。ギャラリーの男女比は7対3程度だった。時に暴走族少年らはパトカーに追突され、捕まった。パトカーに押し込まれた彼らは、警官に激しい暴行を受けた。取調室でも、顔以外の部位に殴る蹴るなどの暴行を受けた。それは違法な取り締まりだから弁護士へ一緒に相談に行こうと私が提案しても、彼らはその不法行為を訴えようとはしなかった。

 私の感覚では、日本の法律は国内ならどこでも一律に適用されるものだ。だが、暴走族の少年たちにとっては、そうではなかった。地元は彼らの領分であり、先輩が正しい。他方で、パトカーの車内や取調室は相手の領分で、殴られても仕方がないと彼らは考えていた。地元の論理と警察の論理がぶつかり合うのが、ゴーパチだった。

 そこは地元の中学生が一人前の暴走族としてデビューする場所でもあった。地元の先輩たちはそんな彼らを見守った。自分が現役だったときと比べて「気合が入ってない」と活を入れることが多いが、ごくまれに「最近の若いのはやるな」と評価することもある。運転技術に磨きをかけた少年たちがパトカーと張り合い、警察を翻弄することもあれば、ハンドル操作を誤って痛い目に遭うこともあった。そうした出来事を、時に100人以上のギャラリーと共有できる空間、それが当時のゴーパチだった。