28歳で出版社を立ち上げ、英国情報誌「英国生活ミスター・パートナー」を発刊。以来30年以上にわたり出版社の代表を務めてきた井形慶子氏。そんな彼女は働き盛りの55歳のタイミングで“働き方”を見つめなおし、経営をダウンサイジング。「やりたいことをやろう」と、イギリスの小さな町にあるような“よろず屋”を開店するために一歩足を踏み出した。
ここでは同氏の著書『年34日だけの洋品店 大好きな町で私らしく働く』(集英社)の一部を抜粋。開店に向けて具体的な行動を起こし始めた際の思いについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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基本はサポート、背負わない仕事改革
お店を始めるためにはもっと時間が必要だった。後継者も定まり、ブログ(編集部注:井形氏は「すぐにお店を始めることはできないからこそ、仮想空間の店をつくろう」という思いで2011年にブログを開設していた)を始めて4年目、代表を降りた私は、辞める仕事、続ける仕事を整理した。
面接など時間と責任を伴う人事からは一切退き、30年間続けたFM音楽番組のパーソナリティも一部の出演にとどめられるようにした。
これまでの流れから、どうしても辞められない仕事もあった。特集の企画を組み、レイアウトを考え、時にはインタビューも行う編集長の業務。著者としての書く仕事も続いていた。けれど経理や総務なども含めて、基本はサポートに徹する。これまでのように背負い込まない。
英国情報誌の発行についてもスタッフと何度も話し合いを重ね、思い切って根本的な形を見直すことにした。創刊30周年目前ではあったが、月刊ではなく2か月に一度の発行に切り替えた。こうすれば1年の半分、約6か月間は時間にゆとりが生まれるからだ。
スタッフと共にトーハン、日販など雑誌・書籍の取次会社に出向き、変更手続きを進めた。30年間、毎月出し続けた雑誌がそうでなくなることは、淋しくもあったし、気持ちの整理も必要だったが仕方ない。広げた風呂敷を畳むときなのだ。
毎月購読するのが楽しみだったのに残念だと、読者の方々からは惜しむ声もたくさん頂いた。
申し訳ない思いもあったが、会社を縮小したのち、やりたいことを始めたのは私だけではなかった。沖縄の実家に戻り、家業を手伝いながら時々飛行機に乗って出社する人、特派員となりイギリスに渡った人など、従業員のまま自由に働きたいという人も出てきた。
会社に在籍しつつ、自分のスタイルで働きたい思いは、彼らの中にもあったのだ。
いずれにせよ、仕事も生き方も切り替えのタイミングだったのだと、当時を振り返るたび思う。