多様な女の子のロールモデルを発掘するというオーディション「ミスiD2017」で、男性初のファイナリストとして注目を浴びたゆっきゅんが、2021年5月に待望のソロ音楽プロジェクトを開始。その名も「DIVA Project」。あるがままの姿を貫き、自分の感情を卑下しない彼の姿は、ファンを惹きつけ、奮い立たせてやまない。新世代「DIVA」の、強烈なきらめきを全身に浴びるインタビュー。(全2回の1回目/後編を読む)
「もっと面白い人に会いたい」がきっかけだった
――2014年、上京と同時にアイドル活動を始められたとお聞きしました。
私は地方出身なので、もっと好きな映画やミュージシャン、「DIVA」に直接触れたいという気持ちで上京したんですね。そもそも東京に来たら、アーティストに限らず、すごく面白い人がいて打ちのめされる、自分じゃ駄目だと思い知らされるだろう、と思っていたんです。でも少なくとも、大学はそういう場所じゃなかった。もっと面白い人に会いたい、そのためには大学の外に出なくてはと思って、アイドル活動を始めました。
――そこでなぜ、アイドルになろうと思われたのでしょうか?
アイドルは中学生のころから好きだったんです。アイドルという存在を好きになった最初はモーニング娘。ですね。中学2年生の時に、「泣いちゃうかも」という曲の、サビの亀井絵里さんが可愛すぎてハマりました。それがAKB48が流行り始めた頃です。そのあと、いわゆるアイドル戦国時代と言われるような時期がやってきた。
14年はそんな風にアイドルが大流行した後で、「誰でもアイドルになれる」空気があったんです。「自分はアイドルだ」と言うことでアイドルになれるような。もちろん、“誰でも”ではなくて、向き不向きはあるんですけどね。私のアイドル活動も、そんな空気の中で「私はアイドルです、ゆっきゅんです」ってTwitterで言ったことから始まった気がします。女の子たちのグループに入ることはできなかったし、だからといって、かっこいい男の子のグループに入りたいわけでもなかった。だから自分の道を行こうと決めました。
特に最初の頃は人から貰うお仕事はほとんどありませんでした。誘ってもらってライブもしたけれど、友人に写真を撮ってもらって個展をしたり、ZINEを作ったりと、自分から発信して「現場」を作るようにしていました。やりたいことと出来ることをひとつずつ試してきたのだろうと思います。似たような人があまりいない分、「絶対にゆっきゅんに出てほしい」という依頼だけが来るのは、活動を始めた頃からの強みだと思います。
――その後、ルックスに限らず、多様な女の子のロールモデルを発掘するという講談社のオーディション「ミスiD2017」に出場して、注目を集めます。
2年間、自分なりに活動はやってきたし、尊敬している人達にも少しずつ存在は知られてきていた。でも、これからどうしたらいいんだろう、ってその頃ちょっと悩んでいて。そんな中で「ミスiD」を受けたのは、選考委員が自分の好きな人達で、その方々の選評が読みたかったからです。歌手の大森靖子さん、デザイナーの東佳苗さん、映画監督の山戸結希さん、劇作家の根本宗子さんがいました。