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大げさは「重大」だってこと

 歌詞についても、1行1行を見てみると、友人や、ファンの方、本で読んだ人など、いろんな人を思い浮かべて書いたなと思います。書いている時はもちろん、見たことがないものを書こうと思っていたんですけれどね。「DIVA ME」の歌詞は、加藤シヅエという日本のフェミニストの本を知った時に、方向性がバチッと定まりました。作家の柚木麻子さんが教えてくれたんですけれど、加藤シヅエの本の中にこういう言葉があるんです。「あなたは大げさです。私も大げさ。だからあなたの気持ちがよくわかる。日本では、つつましいことやおとなしいことのほうを人はほめますが、大げさな人のことは、誤解されやすく非難されやすい。つまり、つつましいことよりも値打ちが下がるのが日本です。だから日本は進歩しない」(加藤シヅエ・加藤タキ『加藤シヅエ 凛として生きる』大和書房)。この言葉を読んで、「本当にその通りだな」と思いました。ずっと昔に、もうそんなことを言ってた人がいたんですよ。

 

 大げさっていうのは、誇張しているということじゃないんです。ある人にとって重大なことが、他の人にはそう見えないってだけのことなんですよ。でも自分にとって重大なことは、誰に何と言われようと重大なことなんです。地球や世界で起きていることと比べてちっぽけだからと、自分の苦しみを矮小化するのはやめたいですよね。もっと喜んでいいし、悲しんでいい。そういう謙遜はもういらないだろうって思います。

 私自身、忙しいと思うハードルがすごく高いんです。でも自分の感情や反応を小さく片づけたり、卑下したりって、本当に時間の無駄のような気がします。感情のハードルを下げたいし、自分に素直になるタイミングを早めたいですね。Twitterで忙しいアピールをしてもいいし、そんなことないよって誰かに言ってもらうつもりで何かを言ってもいいじゃないですか。そんなの自分の自由だよねって思います。

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 以前私は、エッセイを集めて『友達の遅刻は最高』というZINEを作ったんですね。その中で『この世界の片隅に』に触れたんです。すずさんが不発弾で自分の右手を失ってしまうシーンについて、「私も彼女に『でも生きていてよかったね』と言ってしまうかも」と。ある人が辛かった経験を話してくれた時、相手を元気づけたいという気持ち故に、いいところもあったよねって、励ましてしまうことはよくあると思います。でも本当は、当人が感じていることが答えだし、悲しいこと自体がない方がずっとよかった。不幸中の幸いを、当事者以外の人が積極的に探すのは危険なことだなと感じるようになりました。まずはいったん相手の辛さを受け止めるところから始めないと間違ってしまう。