日本中を興奮させた、東京五輪でバスケットボール女子日本代表の銀メダル。身長差が最もパフォーマンスに現れると言われるバスケで、平均身長が176㎝と出場12か国のうちで2番目に低い日本がメダルを獲得したのだ。代表の強化に力を注いできた東野智弥JBA技術委員長に話を聞いた。なお、東野は銀メダルを獲得した車いすバスケでも、様々な形(コーチング、戦略アドバイザー)で監督の及川晋平氏をサポートしてきた。(全2回の2回目。前編を読む)
トム・ホーバスヘッドコーチは代表女子が銀メダルを獲得した直後、こんな名言を残した。
「スーパースターはいなかったけど、スーパーチームだった」
この言葉は、日本の団体競技に大きな勇気を与えただけでなく、日本の組織社会にも新たな目覚めを喚起した。
45年間遠ざかっていた五輪に自力で復帰した男子バスケ
それにしても、14年11月にFIBAから事実上の制裁を食らうほどに混迷していた日本バスケ界が、いかにして短期間で蘇ったのか。東京五輪で男子バスケは12チーム中11位と成績は残せなかったものの、45年間遠ざかっていた五輪に自力で復帰。東京五輪から正式種目になった3人制(3x3)は男女共に決勝トーナメントにコマを進めている。東野が言う。
「強化に成功したと言うのは面映ゆいですが、バスケ界が一丸となって変わらなきゃ、という危機意識がパワーになったんだと思います。FIBAから国際資格(試合出場)停止処分を受けたとき、もうリオ五輪にも出られないかもしれないという切羽詰まった状況でしたから」
15年、バスケ界改革の旗振り役として、Jリーグを育てた川淵三郎が会長に就任すると、翌年、技術委員長に東野を抜てきした。
「周りからは反対されましたよ。火中の栗を拾うことはない、と。でも僕にはその栗がとても美味しそうに見えたんですよ」