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4回死の淵を見て4度も生かされてきた

「実は僕、4回ほど死の淵を見ているんです。4度も生かされてきたんですから、大好きなバスケットのためだったら、どんなことでもできますよ」

JBA技術委員長の東野智弥氏 ⒸJBA

 最初はバイク事故、2度目は大学時代に遭った高速道路での交通事故。そして3度目はあと一歩のところで地下鉄サリン事件に遭遇、そして4度目は99年7月、ANA61便のハイジャック事件、命拾いした。

「1度目と2度目は自分で起こした事故ですけど、ハイジャック事件の時は本当に死を覚悟しましたね。飛行機が乱高下し、民家の軒先の洗濯物が見えましたから」

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 東野はアドバイザーを務めていた車いすバスケの札幌での試合に向かうため、チームドクターと同機に乗っていた。ハイジャック犯は長島直之機長を殺害し、自分が操縦。のちに乗客によって取り押さえられ、非番で乗っていたパイロットによって操縦されたが、乗っていた乗員乗客517人全員が死を覚悟したという。ちなみに長島機長の死亡を確認したのはチームドクターだった。

「地下鉄サリン事件の電車は、私がいつも利用していた時刻のもの。その日はたまたま1本前に乗り助かりました。こういうことが続くと、生かされた命は好きなもののためにトコトン使おうという気になりますよ」

©️JMPA

 生かされた命をトコトンバスケ界の改革につぎ込んだところ、女子バスケが銀メダルという形で結果を出した。だが東野は満足しない。すでに金メダルに辿り着けなかった理由の解析に着手している。東野の挑戦は、男女代表、男女3人制の4種目が世界のトップに立つまで休みなく続く。