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「かつての存在感はない」「スーファミにも遠く及ばない」プレステ2に大苦戦したゲームキューブからなぜ“ゲームは変わった”のか《誕生20周年》

2021/09/12
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 ではユーザー目線ではどうだったでしょう。そのころ学生だったという付き合いのある編集者に、当時のゲームキューブの印象を質問したことがあります。その回答は、「任天堂と“心中”する人が購入していたイメージ」というもの。辛辣な評価ですが、使えるお金の限られていた世代から見た、うまい言い回しでもあると思います。当時、ソフトメーカーの出す有力タイトルの多くは、ほとんどPS2で出ていたので、多くのプレイヤーはPS2でこと足りる状況だったのです。

 任天堂にとって、堅調だった携帯ゲーム機によって業績こそ痛手はカバーされていましたが、ファミコン時代と比べて「頭打ち感」は明白でした。

任天堂を「変えた」ゲーム機

 と、ここまで「数字」の面で見ていくと大きく水をあけられたゲームキューブですが、実際ハードとしてどうだったのかといえば、他社と比べても劣らない良質なゲーム機だったと思います。ソフトだって、先に挙げたとおり多くの自社有力タイトルをかかえ、決して「手札が悪かった」とはいえません。

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 それでも、PS2の壁はあまりに厚かった。大ヒットした初代PSのゲームソフトを(その次世代機でありながら)そのまま遊べたこと、当時普及し始めていたDVDも視聴可能だったこと……。「大企業」として様々な業界で築いていたリードを、総合的かついかんなく生かしたソニーは、ゲーム機史上に残る大ヒットハードを生みだしたのです。音楽に映像に家電に……と多種多様な業界で知見を重ね、練り上げられたCM戦略も駆使してそれを「ゲーム機」として結実させていくソニーに、他社が正面から挑むのは得策でないのは明らかでした。

2001年、大乱闘スマッシュブラザーズに興じるプレイヤーたち ©getty

 そこで任天堂は、ゲームキューブ以降、従来から方向性を全く変えた「異質な」ゲーム機を送り出す決断をします。そうやって生まれたのが、上下2画面を備えた携帯ゲーム機の「ニンテンドーDS」(以下、DS)と、リモコンを振り回して遊ぶ新機軸の家庭用ゲーム機「Wii」でした。

 それまでのゲーム機の進化は、すなわち「性能アップ」を意味するというのが常識でした。「データ容量が大きくなり、詰め込めるゲーム内容が増え、グラフィック性能や音質が向上する」という具合に、機械としてのスペックをよくすることに意味が見いだされていたのです。