ところが、「DS」や「Wii」は違いました。操作方法ひとつとっても、タッチペンで画面を触ったり、コントローラー自体を腕につけて振るなど、それまでの「十字キーとボタンのコントローラー」によるゲーム操作の概念をイチからリセットしました。それまでの発想を抜本的に変えて、絶対的な性能ではなく「遊んでくれる子供たちの親に嫌われない」「裾野を広げてゲーム人口自体を拡大する」という、「みんながわいわい遊ぶ」視点に立ったコンセプトで勝負するようになったのです。
結果、その後の任天堂ゲーム機は大ヒットを連発します。ゲームキューブで“王座”を奪還できなかったものの、そこから浮き彫りになった従来路線の限界から目を背けず、思い切った“改革”に着手し、逆転劇につなげたとも言えるのです。
21世紀がスタートした2001年、時代は転換期だった
ゲームキューブが登場した2001年は、ゲーム業界にとって波乱の時期でした。マイクロソフトが「Xbox」(11月発売)でゲームビジネスに参入した一方で、その10カ月前の1月、任天堂と長年にわたってゲーム機のシェア争いを繰り広げたセガが「ドリームキャスト」の生産中止とゲーム機ビジネスの撤退を発表したのです。
当時は「勝ち組」と「負け組」のあまりにも極端な差が明白になった時期でした。一時期のアメリカでは任天堂を上回るほどの市場を獲得したセガが、根強いファンも多かったハード作りを諦め、ソフトメーカーに専念するようになったことは、衝撃であるとともに時代の変わり目を否応なく意識させられる事件でもありました。
「頭打ち感」のあった任天堂に対しても、「セガのようにソフトメーカーになれば良いのでは」という意見が少なからずあった時代です。今にして思えば、それだけ先が読めない時代だったともいえるでしょう。
ゲームキューブの経験は、任天堂の本格的な変革を振り返る上で、まさにターニングポイントだったといえるのかもしれません。