今回の事件は敗戦翌年の1946年に発生。戦後初の誘拐事件とされ、初の公開捜査となった。国土は荒廃、国民の心身も疲弊して食糧事情は最悪。社会は混乱して事実上無政府状態だった時期に、財閥の令嬢が若い男に誘拐されて連れ回された。
逮捕された樋口芳男は、それ以前にも少女誘拐を繰り返していた常習犯で、少女たちからは「優しいお兄さん」と慕われたという。樋口は外地から引き揚げた復員兵、令嬢はその妹で両親を失った戦災孤児のような姿を装って各地を歩いた。
同じ戦後の誘拐事件でも、このシリーズで取り上げた9年後の「トニー・谷長男誘拐」とは、かなり様相は異なり、敗戦直後にしかあり得なかった事件といえるが、一面で現代の犯罪にも通じる事件の表情がある。今回も差別語、不快用語が登場するほか、被害者は匿名にしている。
軍靴男が尋ねた「住友さんの娘さんはどなたか」
娘の恐怖時代……誘拐しきり 學(学)校歸(帰)りを誘ふ(う) 住友氏長女謎の行方
【横浜発】横浜市戸塚区東俣野町83、住友吉左エ門氏長女(12)は17日午前11時半ごろ、片瀬町、白百合高等女学校から帰宅の途中、何者かに連れ去られたまま18日午後になっても帰宅せず、警察及び住友全機関を挙げて捜査中である。犯人は明らかに長女を住友氏の令嬢と知って計画的にやった犯行であることは当時の状況からみて明らかであるが、同家には脅迫状など事前の気配は全然なく、いまのところ犯行の目的その他は一切不明である。
なお長女は白百合高女付属初等科6年生で、通学は藤沢駅まで自転車、藤沢から小田急江ノ島線で通っていた。
1946年9月19日付朝日は2面(当時の新聞は朝刊のみ、原則2ページ)トップでこう報じた。学校名は正確には湘南白百合高等女学校付属国民学校。記事は、被害者の学友2人の話から「校門附近で待ち伏せ」の見出しで次のように書いている。
17日午前11時半ごろ、学校の授業が済み、級友と校門を出て江ノ島電鉄駅(小田急線片瀬江ノ島駅の誤り)に向かったが、校門から一丁ほどのところで、追いかけてきた30歳ぐらい、カーキ色のシャツに軍服略帽をかぶり、軍靴に赤の革脚半を巻いた男が学友の1人に「住友さんの娘さんはどなたか」と尋ね「前に行く3人連れの1人です」と答えると、男はこれに追いつき「警察の者ですが、お宅に重大な事件ができましたから一緒に来てください」と言い、長女を連れ去った。
なお長女の服装は白ブラウス、青いスカート、白い帽子をかぶり、ランドセルを背負っている。顔は面長、やせ型で、髪はおかっぱ。右の目の下にほくろがある。
さらに「一週間前からつけ狙ふ」の見出しの別項記事では――。
【横浜発】戸塚の住友別荘には春子夫人と長女、次女の親子3人が滞留しており、当主吉左エ門氏は2カ月ほど前から長野県下高井郡穂波村の別荘に行っていて留守。夫人に代わって同家、貞利執事は次のように語っている。
いまのところ、脅迫状といったようなものは来ていません。学校の級友たちの語っているところを総合すると、犯人は1週間ほど前から、放課後になると学校付近を徘徊していた様子で、15、16両日も、学校から帰る級友に対し「住友さんは以前級長をしていたが、いまもしていますか」などと尋ねており、16日に現れたときはボロボロの兵隊服であったが、17日には革脚半まで着け、きちんとした服装であったという。
同じ日付の読売も「住友本家の令嬢 學校前から誘拐さる」と2面準トップの扱い。朝日、読売とも晴れ着姿の被害者の写真が添えられている。