文春オンライン

連載昭和事件史

「住友さんの娘さんはどなたですか」軍靴を履いた「少女誘拐マニア」はなぜ財閥令嬢を誘拐したのか?

「住友さんの娘さんはどなたですか」軍靴を履いた「少女誘拐マニア」はなぜ財閥令嬢を誘拐したのか?

復員服と「戦災孤児」が普通だった時代の「少女誘拐マニア」の住友令嬢誘拐事件 #1

2021/09/12
note

戦闘帽、白マスク、ねずみ外套の20歳ぐらいの見知らぬ男が…

 同じ日付の毎日は2面トップで「金か怨(うらみ)か“人質事件”が錯綜」が見出しの、興味深い記事を掲載した。

 さる3月14日、学校からの帰途、行方不明となったまま消息を絶っていた東京都淀橋区下落合2ノ761、日下部工業株式会社専務取締役・清水厚氏の長女(14)は、このほど無事両親のもとに帰ったが、長女を誘拐した犯人は脅迫して1万5000円を奪い、巧みに姿をくらましていて、まだ警視庁の捜査線上に浮かんできていない。

 

 事件の発生は3月14日午後3時半ごろで、長女は平常通り、級友の2人と連れ立って帰宅の途中、目白警察署横まで来ると、戦闘帽、白マスク、ねずみ外套の20歳ぐらいの見知らぬ男から「ちょっと聞きたいことがあるから、近道をして帰ろう」と誘われ、級友と別れたまま消息を絶ち、半年間何の手掛かりもなかったが、たまたま先月7日朝、下落合の自宅郵便箱に「9月10日正午、現金1万5000円持って京都の東本願寺境内に娘を引き取りに来い。母親に限る。警察に訴えたら娘を殺す」としたためた脅迫状が投函されていた。同家では直ちに目白署に届けるとともに、10日朝、母親は現金1万5000円を持って指定の場所で待つと、長女が現れ「お母さん」と飛びついてきたので、母親が思わず現金の包みを落とすと、犯人はそれを奪って逃走。行方をくらました。母親は長女を同道。11日、夜行で京都を出発。12日朝、着京、帰宅したものである。

 

 長女は非常に興奮しており、誘拐後の行動はつまびらかでないが、犯人は長女を連れて各所を転々と渡り歩き、最近は北海道方面の某工場で稼いでいたが、金に窮し、脅迫状を出したものらしい。

2つの誘拐事件を報じる毎日

 1万5000円は現在の約61万円。被害者は正しくは次女で、当時日本女子大附属豊明国民学校6年生だった。この事件の記事は朝日、読売には見当たらない。毎日の特ダネだったようだ。というか、この事件は発生自体、新聞で報じられなかった。女児の不明事件など、当時はそれほど重大視されなかったのだろう。

尋ね人「可愛き娘」

 発生から1週間後の3月21日、毎日と読売の2面広告欄に次のような尋ね人広告が載った。

ADVERTISEMENT

 尋ね人(13歳) 淀橋下落合2ノ761 清水厚、次女 身長4尺2~3寸(127~130センチ)、やせ型、色白、二重まぶた、長めオカッパ、可愛き娘。紺半身コート、だいだい色セーター、紺セーラー、紺ズボン。右3月14日、帰校の途次、目白署附近にて行方不明。心当たりの方はご通知願いたく。応分の謝礼仕り候。

清水家次女の尋ね人広告(毎日)

 同じ内容の広告は3月23日には朝日にも掲載された。この時点ではまだ誘拐とは断定できなかったということだろう。「可愛き娘」という表現に肉親の心情が表れている。それから約半年後に身代金要求があり、実際に受け渡しが行われて現金が奪われたわけだが、そのことも公表されず、この毎日の記事で初めて明るみに出たとみられる。