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 また、暗渠化後の橋が“架け替え”られているケースもある。多くはモニュメント状になっているが、中にはしっかりと欄干までつくられているものもあり、暗渠の景観に彩りを添える。これらを巡りつつ、川を下流から遡ってみよう。

最下流から遡っていくと…

神田川の菖蒲橋と相生橋の間に、暗渠の合流口がある。豪雨でオーバーフローした時だけ水が流れ出る。 ©本田創

 新宿区西新宿5−20付近、神田川の右岸側護岸にぽっかりとあいた矩形の巨大な穴。これが、かつての和泉川の合流口だ。流路は暗渠化時に「十二社幹線」と呼ばれる下水道に転用されており、合流口の手前で暗渠から分かれて別の下水幹線へと接続されている。

 合流口の真上から、遊歩道となった暗渠が南へと続いている。そして暗渠を道路が横切る地点にさっそく橋跡が登場する。最初に交差する長町第二号橋は床板だけになっているが、次の長町第一号橋は戦前の欄干の両端が姿を留めている(冒頭写真)。橋跡は戦後かけられた羽衣橋、そして昭和初期の柳橋と続く。

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 柳橋が架けられたのは昭和7年(1932年)。橋を通る通りは、鄙びた商店が並び、とても副都心とは思えない、時代から取り残されたかのような景観をかたちづくる。橋のたもとにはかつて、「日本語のロック」のオリジネーターである「はっぴいえんど」の1stアルバム(1970年)ジャケットに描かれたゆでめん屋「風間商店」があり、今でもアパートに姿を変えて残っている。その排水は暗渠に流されていたのだろうか。

戦前の橋に戦後の商店街、蓋をされた川、日本語ロックの黎明期、バブル期の都庁と、様々な時代の変遷が暗渠の景観の中に交錯する。 ©本田創

 合流口から柳橋にかけての暗渠上は、数年前までは遊具の置かれた児童遊園となっていて、伊丹十三監督の映画「タンポポ」(1985年公開)のロケ地の一つとしても知られていた。他にも柳橋ではドラマ「太陽にほえろ!」(第258話「愛の追憶」(1977年))が、幡ヶ谷の新道橋付近では映画「竜二」(1983年公開、川島透監督)が、さらに上流の暗渠沿いではドラマ版「探偵物語」(第5話「夜汽車で来たあいつ」(1979年))が撮影されている。この暗渠にはどこか映像的に惹きつけるものがあったのだろう。

誕生は関東大震災からわずか半年後!97歳の「榎橋」

榎橋は1924年3月、関東大震災の半年後に竣工している。震災からの復興の中で、コンクリートの頑丈な橋は希望の象徴でもあったのではないか。 ©本田創

 柳橋の次の榎橋はなんと97年前の大正13年(1924年)3月竣工と、神田川支流に残る橋の中で最も古い橋だ。関東大震災からわずか半年後、復興の過程でかけられた橋は、周囲の風景が激変し、橋の下の水面もなくなり、欄干をぶっつりと切断されながらも、都心の片隅にひっそりと生き残った。そして今でも毎日多くの人が、そこが橋だとも気づかずに渡っていく。