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2021/09/12

方南通りを越えて新宿区から渋谷区へ

 新宿区内では古い橋跡と遊歩道が続いたが、方南通りを越えて渋谷区内へ入ると、様子が少し変化していく。

 大江戸線の西新宿5丁目駅付近では暗渠は駐輪場になっている。暗渠の空間利用としてしばしばみられるパターンだ。そして渋谷区では暗渠にかかる橋の“架替え”が進んでいる。例えば清水橋。山手通りと方南通りの交差点名で知られるが、戦前に架けられた橋は撤去されて、代わりにあたかも架け替えたかのように、橋の形のモニュメントが作られている。

山手通りと方南通りの交差点「清水橋」を知っている人は多そうだが、それが神田川支流にかかっていた橋の名であることまではほとんど知られていないだろう。 ©本田創

 その先の弁天橋は、周囲の風景とは不釣り合いなほど立派な橋に架け替えられている。橋の袂には大雨に備えてケースに納められた土のうが用意されている。暗渠化されていても、川は川。その流路は谷筋であり、雨が降れば川沿いに向かって水が集まってくる。地形の記憶を象徴する景観といえよう。

弁天橋は2003年に架け替えられている。川が暗渠になって30年以上たってからというのが面白い。 ©本田創

 暗渠はもともと川だったから、周囲の家々は背を向けている場合が多いが、暗渠化後に通用口を設けている家もみられる。そこにはしばしば自家用のミニ階段が置かれている。失われた水面との高低差が、形を変えて視覚化されている。

暗渠は低くなっているので、自家用の階段が置かれているのをよく見る。街灯の土台も、暗渠なので地上に作られている。 ©本田創

並行する二つの暗渠

 本町学園第二グラウンドの先からは、ここまで辿ってきた暗渠の北側に数十~百メートルほど離れて並行する、もうひとつの細い暗渠が現れる。暗渠をたどっていると時折このような並行する双子のような暗渠に遭遇するが、これは地形と土地利用に由来するものだ。

ここで再び地図を見てみよう(地理院地図を加工)
本流に並行するもう一つの暗渠。路地となっていて、車止めの標識が立つ。 ©本田創

 これらの暗渠沿いは谷戸と呼ばれる底の広いU字の断面を持つ地形となっており、谷底の低地はかつて水田として利用されていた。そこでは川は水田の両縁にふた手に分けられ、片方は水田に水を引き入れるため、もう片方は余った水を排水するための水路として機能していた。これがそのまま痕跡を残しているのが双子の暗渠だ。神田川支流の2本の暗渠の間にも「本村田圃」「幡ヶ谷田圃」と呼ばれる水田があった。双子の暗渠には昔の田園風景の記憶が留められている。

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