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2021/09/13

 物語はとらえどころなく進む。主人公の美波に、一緒にアニメを見ることが日課の、仲のいい父親とはちがう、別居した実の父親がいること、その父親が新興宗教の教祖であるらしいこと、そうした普通の映画であれば大きな衝撃を表現する演技とドラマチックな劇伴音楽の盛り上げで進む展開が、美波たちの淡々としつつ日常的にリアルなリアクションで受け流されていく。過去のドラマツルギーに慣れた観客は、初めて聴く音楽にリズムを取れないように戸惑ってもおかしくない映画だ。

 だがこの新しい音楽のようなコード進行で進む映画に観客をつなぎとめるのは、上白石萌歌たちのみずみずしいボーカルのような演技だ。姉の上白石萌音が『恋つづ』で演じた内向的なヒロイン像は多くの視聴者から共感を集めたが、姉より少し背が高く体格も良い上白石萌歌は、朔田美波という明るく自由に見えながら複雑な内面を持つ主人公をみごとに演じ、新しいルールで進む物語に観客を惹きつけて離さない。

上白石萌音(右)と萌歌(左) ©️文藝春秋

「涙は自然に湧き出てきました」

 ラストの屋上のシーンについて、上白石萌歌は「屋上で笑いながら涙を流すっていうシーンなんですけど、あのシーンはこの映画のすべてですし、(撮影をしていた)去年の夏の私のすべてだとも思っています」と語る。それは「プレッシャーのかかる大事な場面になると勝手に笑い出してしまう」という、それまでコミカルに描かれていた主人公の癖が、心の深い暗闇と隣り合わせであることが明らかになる告白の場面で、上白石萌歌が語るように、この映画のテーマが明らかになる、すべてが懸かったラストシークエンスだ。

 恐ろしく演じることの難しいシーンで、細田佳央太との対談の中で、「台本を読んだときに『自分が美波役だったら絶対こんなお芝居できない』と思っちゃいました」と語る細田に対して、上白石萌歌は「私も(台本を読んだ時は)無理だと思った(笑)」と答えている。

 沖田修一監督は、この最も困難なシーンを、撮影の最終日、クランクアップの日に配置したのだという。学校の屋上を借りたロケ撮影で、背後には夕陽がせまる。日没の時間は短く、色彩の変化は大きい。ほんの数回撮り直せば、もうその前のシーンと時刻の辻褄が合わなくなってしまう。

 そのやり直しのきかないプレッシャーの中で、「私にとって10代最後の作品だったし、すべての集大成をこのシーンに閉じ込めたいという思いが強かった。気持ちを持っていく必要はなくて、涙は自然に湧き出てきました」「だからなにも考えずに、感情を放り投げるつもりでチャレンジしました。そしたら一発で決まったんです」と上白石萌歌は振り返る。

上白石萌歌(左) ©文藝春秋

青春を送る次の世代の未来について希望を持たせてくれる映画

 映画のすべてが懸かった、それまでの淡々とした新しい日常の影にある、いつの時代も変わらない真摯で普遍的な感情が湧き上がるラストシーンで上白石萌歌が見せた演技の素晴らしさは、ぜひこの映画を観て確かめて欲しいと思う。野球ファンに何年も語り継がれる、名試合でのサヨナラホームランのような演技が、映画の世界にも存在するのだ。

 夕暮れの空に吸い込まれる白球のような美しい芝居と、観衆の喝采の中でゆっくりとダイヤモンドを回るようなエンドロールを見ながら、上白石萌歌と細田佳央太という若い俳優の将来と、この困難な時代に青春を送る次の世代の未来について希望を持たせてくれる映画だった。

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