圧倒的に乱れた食生活でも、ギリギリ健康を維持できるのは、ちゃんこ鍋のおかげ。鶏肉を中心に野菜などバランスよく入っているから、食べすぎなければ健康にいいのだ。
だが、いくら稽古が激しくても、摂取エネルギーを消費エネルギーが上回ることはない。必然的に相当量の脂肪が蓄積することになり、痛風の予備軍となっていく。
土俵生命の危機
72代横綱稀勢の里は、大関時代に巡業先で稽古中に足首に痛みがでて、痛風の疑いがあると報道された。
土俵以外でも世間の注目を浴びた琴光喜は、2009年1月場所直前に、痛風による右足首の痛みで3日間入院した。琴光喜は稽古がほとんど出来なかった影響で黒星が続き、10日目で朝青龍に敗れ、大関昇進後初めての負け越しが決定した。2005年9月場所から続いていた、幕内連続勝越し記録も20場所で止まった。
このように痛風は、アスリートに致命的なダメージを与える場合もある。琴光喜は天才的な相撲の才能の持ち主として知られたが、すべてを棒に振ってしまった。常人には計り知れないストレスから痛風を発症した可能性も否めない。
薄い髪の毛がトレードマークの元小結・琴稲妻は、若手時代に痛風を患った経験を持つ。聞くところによると、痛風治療の為に服用した薬の副作用により髪の毛が抜けたという。薬と薄毛の正確な因果関係は不明だが、相撲取りは髷が結えなくなったら引退というルールがあるので、これはまさに死活問題だった。
しかし、額が広がったことでお茶の間の人気を獲得したのだから、痛風の隠れたファインプレーともいえるだろう。琴稲妻は自分の頭を指差し「俺は最強だよ。だって負けない(髷ない)から」という名台詞を残した。
ちなみに、元大関・雅山は引退の2日後に痛風が出たという。それまで発症しなかったのは、やはりちゃんこ鍋のおかげに違いない。
立って歩くだけで褒められる
日本の国民的スポーツである野球も、痛風レジェンドを輩出し続けている。
アマチュア球界を渡り歩き、ソウル五輪ではヘッドコーチを務めた川島勝司氏は痛風キャリアであった。
ソウル五輪では本大会中に発作が出て、歩くのが困難な状況になったが、痛みをおして打撃投手とシートノックをやり抜いたという。
一度でも痛風を経験したことがあるものならば、その偉業にひれ伏すばかり。桁違いの精神力である。
だが、痛風とはなんと不思議な病気か。球を投げて、打席に立っただけで、褒められるのだから、健康な人たちからは、ふざけた病気だと思われているかもしれない。