川島のエピソードが美談として語られたように、野球界には痛風の理解者あるいは経験者が多いのだろう。川島はその後、野球殿堂入りを果たしている。
長嶋は食生活を意識することで痛風も改善
立教大学からヤクルトスワローズにドラフト1位で入団した長嶋一茂は、20代前半から痛風に悩まされていたという。痛みがひどいときは、スパイクの親指部分を切り取って試合に出たこともあるとか。
長嶋は日本人離れした体格と長打力のある魅力的な選手で、父親に似たマイペースな性格で誰からも愛された。だが、細やかな心を持ち、心身のバランスを崩したこともある。ストレスが痛風の引き金になったのだろうか。選手としては大成しなかったが、元来の凝り性な性格ゆえ、食生活を意識することで痛風も改善したという。
長嶋と同じヤクルトに在籍したトニー・バーネットは端正なマスクと豪快なストレートでファンを魅了した。クローザーとしても稀有な成績を残したが、かねてから尿酸値が高く、2010年シーズン中には、痛風を発症して出場選手登録を抹消された。シーズン終了後に、自由契約選手として公示されたが、2011年は先発投手不足もあって再契約。その後の活躍はヤクルトファンならご存知の通り。痛風を乗り越えた助っ人外国人は私たちに勇気を与えてくれた。
監督の不摂生
野球界のレジェンド広岡達朗も痛風キャリアであった。名将として知られる広岡の代名詞が“管理野球”。徹底した練習と戦術理解はもちろん、選手たちの食生活まで徹底的に管理した。1978年にヤクルトを初のリーグ優勝、日本一へと導いた広岡だが、晩節の西武の監督時代には痛風で休むことがあった。
遠征先のホテルでの朝食中、江夏豊の一言が広岡を激怒させた事件は広く知られている。
選手たち以上に食生活に気を遣っていた広岡に対して、江夏は「健康的なものばかり食べているのに、なぜ痛風なんですか」と聞いたのだ。
周囲の空気は一気に凍り、広岡は江夏を一瞥すると無言で席を立ったという。
翌週、江夏は2軍に落とされた。暴飲暴食は当たり前で、自身も若い頃から痛風を患っていた江夏、それゆえの素朴な疑問が禍根を残した。
ちなみに、今回ヤクルトの選手を列挙したのは私が燕党ゆえ。名捕手・古田敦也氏も痛風らしいが、都心にスタジアムを持ち、スタイリッシュなイメージの強い我がヤ軍には、痛風に効く「トクホヤクルト200」を早く出して欲しいものだ。