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 一方、タリバンの場合は同じアフガン人、場合によっては同じ民族パシュトゥン人であることをベースに国土を解放させようという思いで戦っている。もちろん、過去にひどいことをやったことで反発や反感を受けても、もう少し親和性があり得たわけです。

 さらにアメリカ軍をはじめ外国軍が、誤爆を繰り返し、タリバンやアルカイダの摘発だと言って夜中に個人宅に押し入って無茶な捜査をするなど、個人の権利侵害を平然とやっていくにしたがって、アメリカへの反感が広がり、タリバンに対する同情心も作り出されました。

知事でさえ映り込むことを許さなかった「カメラ嫌い」たちの変化

高木 そのタリバンによる今回のカブール制圧で多くの人が驚いているのは、彼らの広報戦略です。何人かの報道官が出てきて、テレビに対して立て板に水という風情で語っています。2001年以前のタリバンはテレビを「悪魔の箱」と言って禁止していたので、ここは全く変わりました。しかも、その報道官たちが、国際社会がいま心配していることを正確にとらえて、それに対して逐一答える。つまり、テロの基地になるのではないか、女性の権利はどうなるか、少数民族はどうなるのかなど、次々と答えていく姿に驚きながらも、その言葉を信じていいのかと疑問にも感じます。

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田中 以前のタリバンは、テレビはおろか写真も撮らせなかった。私も多くのタリバンと交渉しましたが、一緒に写った写真は持っていません。親しくなっても写真の一枚も撮ったことはないのです。

メディアに発表するザビフラ・ムジャヒド報道官 ©AFLO

 ある時に、アフガン南部・カンダハルの国連の事務所が爆破テロの巻き添えになって、被害状況を確認するために現場写真を撮りに行きました。そこに当時のカンダハル州知事だった隻脚のおじさんがいて、彼がちょっと写り込みそうになっただけで、彼はターバンの端で顔を隠しました。知事ですらそれぐらい写りたくないわけです。

 これは偶像崇拝を禁じる宗教的理由とされていますが、実は、アフガン人ではない人間がタリバンと称して紛れ込んでいるので、その怪しげな素性がバレないように警戒しているためだと現地ではまことしやかに言われていました。

 それにひきかえ、現在のタリバンはメディアを通じて自分たちの正当性を訴え、正統な政権として国際的に認知してもらうことを狙ってメディア戦略に力を入れています。ただ、その言葉を額面どおり受け止めていいのかは、なかなか難しい。タリバンという組織の権力構造、さらに報道官となっている人物の地位がどれぐらいかを考えなければなりません。その彼らにしても、人権尊重などについて語るとき、あくまで「シャリーア」(イスラム法)のもとで、と条件をつけています。