メニュー自体の魅力に加え、創意工夫を積み重ねたサービスで、地元の期待に応え続ける「ローカルチェーン」。厳しいコロナ禍という状況を乗り越え、ファンが増え続ける納得の理由とは――。
ここでは、ジャーナリストの辰井裕紀氏の著書『強くてうまい! ローカル飲食チェーン』(PHP研究所)の一部を抜粋。店舗を展開する関西圏在住の人はもちろん、出張で関西を訪れた人たちからも愛される「551HORAI」の歴史・魅力、そして隠れた人気商品を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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看板メニュー「10円カレーライス」から「豚饅頭」へ
1945年、大阪・戎橋に台湾出身の3人で開業した「蓬莱食堂」から、店の歴史がスタートする。初期の看板メニュー「10円カレーライス」の勢いがしだいに衰えるなか、テコ入れ商品として投入したのが、当時神戸・元町で愛されていた「豚饅頭」だった。
創業者・羅邦強氏が大阪の人に合う味付けで1946年に店内メニューとして売り出したところ、たちまちヒット商品になる。
豚まんの実演販売が始まったのは、1952年。当時はどこも持ち帰り用の箱代を取るのが当たり前だったが、羅邦強氏は箱代を無料にすることで、手軽さが大いにウケた。
さらに木折の箱を紙折に変更したり、大阪の飲食店では初の自動ドアを導入したり、革新的な取り組みを次々と行なった。
店は軌道に乗ったが、創業者たちに独立の機運が高まる。
火災で店舗が全焼したことをきっかけに、 1963年に分離独立。そのうち羅邦強氏による「蓬莱角店」が、のちに店名を「蓬莱」に変え、現在は「551蓬莱」として繁栄を築いている。
「551HORAI」快進撃の歴史
ちなみに店名の由来は、当時外国産の555(スリーファイブ)というタバコを吸っていた羅邦強氏が、「数字なら覚えやすいし万国共通だ」とひらめいた。当時の本店の電話番号が64 -“551”番でもあり、「味もサービスもここが一番をめざそう」として551と名付けた。奇しくも意味は後発の「Co Co壱番屋」と似ている。
1957年に大阪そごうから百貨店での営業を開始。当初は比較的目立たない場所での販売を強いられた551であったが、目を見張る売り上げをコンスタントにあげて信頼を獲得し、一等地を提供してもらえるようになる。ここで、大阪と周辺の百貨店や駅構内へと破竹の勢いで店舗網を一気に広げた。
環境の変化も追い風となる。
2000年前後から始まる大阪周辺の交通網の発達が、食材のスピーディーな配送を可能にし、さらに関西での勢力を拡大した。