つい昨日出したばかりの自分の荷物を、山本は急いで鞄に押し込んだ。昼寝をしている先輩に見つからないように、足音を忍ばせて部屋から抜け出すと、九州から来た部員と2人で近くのバス停まで走った。山口から教わったラグビーも、そして教師になるという約束さえも、全てを捨ててしまおうと思っていた。
行くあてもなく上田駅から、国鉄信越本線(現・しなの鉄道)に乗り込んだ。40~50分ほど揺られていると、軽井沢駅に着いた。やけに蝉が鳴く声がうるさかった。日が暮れかけていたから、そこで1泊し、翌日に東京へと帰った。
沈黙の後、山口が発した穏やかな一言
その頃、日体大ラグビー部はちょっとした騒ぎになっていた。
「1年の山本清悟が逃げ出した」
運命のいたずらか。それとも、切っても切れない縁のようなものがあったのだろうか。
まさにその日、伏見工業ラグビー部は夏合宿のために菅平に入っていた。山本が合宿所から脱走し、山を下りたことは、すぐに山口に伝わった。
東京に戻った山本だったが、大学の寮に行くわけにもいかず、友人の家や簡易宿所を転々としていた。夜になれば繁華街に繰りだし、浴びるほど酒を飲んだ。“弥栄の清悟”と呼ばれていた中学時代に戻ったような感覚になり、「どうにでもなればいい」と自暴自棄になっていた。2、3日そんな生活をしていると、なけなしの金は、すぐに底をついた。
「何日か飲んだくれていて、金がなくなったんですわ。それで、一緒に逃げた子と、九州で仕事を探して働こうとなった。とりあえず、俺は一旦、京都の実家に帰って親父と話をしてくる、と。大学もラグビーも中途半端に辞めてきとるし、もう京都にはおられへんのは分かっていたから。そのまま九州に行くつもりやったんです」
新幹線で京都に行き、久しぶりに実家に顔を出した。すると、その帰りを待っていたかのように、電話が鳴った。
山口からだった。
「おお、清悟か。そこにおったのか。よかった。今すぐに行くから、そこで待っとってくれ。必ず待っているんやぞ」
合わせる顔などあるはずがなかった。大学を中退し、福岡で働く旨を父の清司に伝えると、すぐに家から出ようとした。大きな荷物を持って、玄関の戸を開ける。すると、小学生の頃に手を握り、離れて暮らす母のところへ一緒に行っていた妹のさかえが、大きな金切り声で叫んだ。
「男やったら、自分のやったことのケツ拭けや! 先生が家に来るんやろ! また逃げるんか!」
振り返ると、こちらを睨み付けていた。
「うっせーな。ほんなら、残ったるわ」
乱暴に靴を脱ぎ捨て、居間に上がる。覚悟を決めて、山口が着くのを待った。
「えらい勢いで、先生が来られるんやと思っていたんですわ。もう、殴られてもええと、思っていました。むしろ、気が済むまで、ぼこぼこに殴ってもらうことを望んでいた。そうしてくれたら、山口先生との縁が切れる。僕は京都を出て、また一から九州でやり直そうと、そんなことを考えとった」