1ページ目から読む
4/4ページ目

 ようやく教え子の居場所をつかんだ山口は、菅平高原で合宿を張るチームを離れ、大急ぎで京都に戻ってきた。三条にある山本の自宅に着くと、玄関口に立ちつくした。かつて、毎朝のように訪れた家だった。懐かしさが、込み上げてくる。「ふう~っ」と深呼吸し、額の汗を拭ってからチャイムを鳴らした。しばらくすると、妹のさかえが扉を開けてくれた。今にも泣きそうな目をしていた。

 父の清司と3人が、ちゃぶ台の前に座った。山口の母校でもある日体大の合宿所から脱走し、全てを捨てて帰ってきたのである。いつ、ぶん殴られるのか─。山本は、歯を食いしばった。

 しばらく沈黙が続いた。それを破ったのは、山口だった。

ADVERTISEMENT

「なあ、清悟。今まで、いろいろあったな」

 その口調は意外なほど穏やかで、優しかった。まるで夢破れ、疲弊しきって家に帰ってきた我が子を、慰めるかのようでもあった。ゆっくりと、諭すように、こう続けた。

山本清悟氏と山口良治氏(2006年時) 写真=山口良治氏提供

「お前はもう、本当にラグビーを捨ててしまうんか」

「高校に入学して、初めてラグビー部に誘った日のことを、覚えているか。俺はお前と一緒に、ラグビーがしたかったんや。お前とならば、一緒に目標を持ち、夢を叶えられるんやないか、そう思ったんや。

 なあ、清悟、覚えているか。遠征の時に、お前に大きなおにぎりを渡したことを─。もう、忘れてしまったんか。母さんと離れて暮らしているお前は、もしかしたら、弁当を持って来れないんやないかと、俺はいらん心配をしたんや。それで、持っていったんやで。

 お前とラグビーをした3年間、俺は幸せやった。どうしようもないくらいのワルが、あの弥栄の清悟と呼ばれたお前が、どんどん上達していくのを見るのが、本当に楽しくて、幸せやったんや。

 なあ、清悟、お前はもう、本当にラグビーを捨ててしまうんか」

 静かな口調で、いつまでも、山口は諭し続けてくれた。その目は充血し、涙がにじんでくる。やがて一つの結晶となり、頬を伝う。一度こぼれ落ちた涙は、堰を切ったように次々とあふれ出てきた。

 じっと黙ったまま、山本は正座をしてそれを聞いていた。

 心の奥にある反発心のようなものが、暖かい陽射しを受けた氷の塊のように、じょじょに溶けていくのを感じた。自分を心配してチームを離れ、合宿先の菅平から京都まで飛んできてくれた。その拳で思い切り殴ってくれた方が、どれほど気が楽だったことだろうか。山本の中に生まれた罪悪感は、感謝と入り交じり、再びラグビーと向き合う決意に変わった。

 これほどまでに、一人の生徒のことを思ってくれる教師がいるだろうか。山本もまた、涙をこらえきれなくなり、声を出して泣いた。しばらくして、視線を上げる。真っすぐに山口の顔を見つめながら、言葉を絞り出した。

「先生、すいません。もう一度、頑張ります。もう一度、日体大に戻って、やり直してきます」

 玄関に放り投げた鞄を背負うと、山口と2人、京都駅へ向かう道を並んで歩いた。真夏の強い日差しを受けた大柄な2人の男の影が、地面に落ちる。

 蝉の鳴き声が、やけにうるさかった。

【続きを読む】「叩きつぶせ!」「屈辱を晴らしてくれ!」不良ぞろいの弱小ラグビー部はなぜ圧倒的王者“花園高校”に勝利できたのか