スタンド席には、小畑らOBの姿があった。どうしようもない荒くれ者の集まりで、弱小校だった伏見工業の過去を知る者は、後輩たちの勇ましい姿に、鳥肌が立つ思いだった。気が付くと、みな、叫んでいた。
「突き進め! 手を緩めたらアカン! 花園を叩きつぶせ! 俺たちの屈辱を、晴らしてくれ!」
ここから伏見工業の伝説が始まった
冷たい風が頬を叩く。じょじょに点差が開く。山口はグッと歯を食いしばり、思った。
「手を抜いたらいかん」
花園高校を倒すことが、伏見工業ラグビー部の最初で最大の目標だった。目の前にある大きな壁を越えようとしたからこそ、ここまで来ることができた。完膚無きまでに叩きつぶし、最後まで必死で走り続けることが礼儀だった。どんな人間でも目標を抱き、ひたむきに努力をすれば、乗り越えられない壁などない。それを、教えたかった。このグラウンドで、見せたかった。
荒野を耕し、そこに蒔いた種は、長い年月をかけて芽を出し、花を咲かせようとしていた。山口は伏見工業に赴任した日のことを思った。駅から学校へと続く道は、タバコと下水道のドブ臭さが入り交じり、憂鬱な気分になった。校舎に入れば廊下をバイクが走り、どこからか、シンナーの匂いがした。ここに来るまで、長かった。
60分の試合は、終わりを告げようとしていた。うっすらと雪が積もる京都の山には雲がかかっていた。そのすき間から、ひと筋の光が差し込み、伏見工業の赤いジャージーを、そっと照らした。そして、ノーサイドの時を迎えた。
55―0。ついに、あの花園高校を倒して、全国大会の扉を開いた。スタンドから大歓声が響く。主将の山田英明と大八木は、山口のもとへ駆け寄った。みんながもみくちゃになりながら抱き合い、声にならない叫びを上げていた。
冬の風物詩である全国高校ラグビーに、伏見工業は初めて出場した。東大阪市にある花園ラグビー場。初戦で新潟工業高校を40―0で破り、花園での年越しを決めると、1980年の元日には石巻高校を42―3で下した。勢いに乗って臨んだ1月3日の準々決勝。相手は前回大会優勝の國學院久我山高校だった。しかし、初出場で初優勝できるほど、全国の壁は甘くはなかった。4―26で敗れ、ベスト8で姿を消すこととなった。
初出場で準々決勝まで進出した充実感と、頂点まで辿り着くことができなかった悔い。2つの異なる感情が、チーム内に交差した。如実に悔しさを露わにしたのは、平尾、西口、小嶋ら2年生だった。
この感情こそが、次へと進む糧になった。ここからが、伏見工業の伝説の始まりになったのである。
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