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鑑定書を見た検察から「その記述は消すように」との指示が…“解剖医”が証言する旭川地検の恣意的な“死因究明姿勢”

『死体格差―異状死17万人の衝撃―』より #1

2021/10/18
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 また妻は、極度の近眼だった。そんなことから、夫が「危ないからやめろ」と近づいてきたことで、「近づかないで」と果物ナイフを持った右手を反射的に真っ直ぐ前に突き出した。するとそのナイフが、夫の左の肩口の鎖骨付近に刺さった。夫は「痛い!」と言い、前につんのめる形となり、その瞬間に刃物が深く入ってしまった。ごくわずかだが左肺にも達した。果物ナイフはすぐに抜き取られたが、血が噴き出すようなことはなかった。

車で30分ほど離れたすこし規模の大きい公立病院に

 我に返った妻は痛がる夫を連れて、軽自動車を運転して近所の病院に向かった。この時、傷口は小さく、2人は怪我をしたくらいにしか思っていなかった。事実、町立病院についても駐車場から2人で歩いて診察に向かっている。

 診察室で夫は横になり、酸素を吸入した。朝の6時ごろだったこともあり、ちょうど医師が入れ替わるタイミングだった。夫は、その状態のまま2時間ほど診察室で待つことになった。

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 8時ごろに出勤してきた医師が診察を行ったが、傷が深そうなので、この町立病院では治療できないと判断。病院側は状況を鑑みて、妻の同意を元に警察に通報し、傷などの写真を撮影し、そこから車で30分ほど離れたすこし規模の大きい公立病院に夫婦を送った。

 公立病院に着くと、すぐにCTを撮影。すると左胸腔血気胸(左胸腔に血が溜まり、左肺が潰れた状態)が判明した。夫は意識もはっきりとしており、看護師たちの会話に割って入って、「朝食は、まだ食べていない」と話すほどだった。

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「その時の夫の状態を見れば、出血元は左の胸腔内であることは明らかだった」と清水は言う。

 にもかかわらず、公立病院側は出血源が頸部(首)にあると判断し、緊急手術をする判断をした。夫はその時点でも意識状態は良く元気で、看護師と日常会話をしていた。

致命的だったのは、手術のために行った人工呼吸

 担当医師たちは、手術を始めると、鎖骨付近の小さな傷の周辺を何十センチも切り開き、出血している血管を探そうとした。この措置について、事件にかかわった医療関係者は、「もともと頸部周辺に出血の元はないわけだから、無駄なことをしていたのではないかと後に議論になった」と言う。

「解剖学の知識があれば、出血元は胸腔内であることは明らかです。なぜなら、もし首に出血源があるとすれば、それは動脈か静脈のどちらかの血管が原因ということになりますが、もし動脈からの出血なら、勢いよく血液が噴き出すので、最初の町立病院に行く前に死亡している。静脈の損傷が原因なら、最初の病院で待たされていた2時間ほどの間に、皮下出血で首や左の鎖骨周辺が盛り上がって腫れて、皮膚は紫色になって膨らんでくる。ところがそれはなかった。しかも、この時点で胸腔内から胸腔ドレナージによって血液を抜けば、死ぬようなこともなく、数日の治療で歩いて退院した可能性が極めて高かったと考えられます」

 その判断ミス以上に致命的だったのは、手術のために行った人工呼吸だった。