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 以降、私は王さんをライバル、目標とするようになる。

 それにしても、この「通算対戦成績」の数字は、実に興味深い。

 258打数74安打、打率.287、20本塁打、56打点、56四球、57三振

 経過と結果が凝縮されている。私が阪神時代(67年~75年)は先発投手として、私が広島時代(78年~80年)は抑え投手として王さんと対戦した。

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「新記録の354個目は王さんから奪う!」

 王さんが最も本塁打を打った投手は私だが(20本)、私が1番三振を奪った打者も王さんなのだ(57個)。しかも三振と同じだけ四死球がある(死球1個)。のるかそるかのせめぎ合い。このように「エースと四番」の個人対決である一方、56個に含まれる「敬遠四球4個」はチーム同士の対決の結果。そんなことを如実に物語っているではないか。

 プロ2年目の68 年、私は稲尾和久さん(西鉄)の持つシーズン353奪三振(61年)を破る401奪三振の記録を樹立した。(編注/メジャー73年アストロズのノーラン・ライアン383奪三振。参考までにコロナ前のリーグ最多奪三振は19年巨人・山口俊188奪三振、ソフトバンク・千賀滉大227奪三振)

江夏豊選手 ©文藝春秋

「新記録の354個目は王さんから奪う!」

 私はマスコミに公言していた。私の前の試合の登板終了時点で345個。8個取ればタイ記録、9個取れば新記録だ。

「ノー・スリー戦法」

 68年9月17日、甲子園球場。公言通り王さんから三振を奪って「よっしゃー!」と、意気揚々とダグアウトに引きあげた。ダンプさん(辻恭彦捕手)が近寄ってきた。

「おい豊、勘違いしていないか? いまのは354個目ではなく、353個目だぞ」

 1回表2個、2回表2個、3回表2個、4回表2個で353個。

(困った、さあ困った……)

 王さんまでもうひと回り、相手打者から三振を奪わないようにしてアウトに打ち取らなくてはならない。とりわけ、普通に投げると三振してしまう可能性の高い捕手の森昌彦さん、投手の高橋一三さんには、バットに投球を当てさせてアウトにしなくてはならなかった……。

 とにもかくにも王さんから354個目を奪うことができた。王さんは前年まで6年連続本塁打王。まだ「世界の王」ではなかったが「日本の王」であり、押しも押されもせぬ大スターだった。私より8歳上の28歳。ちょこんと当てにくるのではなく、弱冠20歳の若造に対して、フルスイングで向かってきてくれたのは、王さんの人間性だろう。

 私の王さんに対する戦術をここで初めて明かそう。自分の調子がよくない、逆に王さんがすこぶる調子がいい。まともに力勝負しても本塁打される。そんなピンチのとき「ノー・スリー戦法」を使った。

 わざとカウント3B―0Sにすると、王さんは戸惑う。