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落合博満(内野手)/狙って本塁打を打てる

●53年12月9日生まれ、秋田県出身。178センチ、82キロ。右投げ右打ち

●秋田工高→東洋大中退→東芝府中→ロッテ(79年ドラフト3位)→中日(87年)→巨人(94年)→日本ハム(97年~98年)

★通算20年、2236試合、2371安打、打率.311、510本塁打、1564打点

★首位打者5度、本塁打王5度、打点王5度、最多安打1度、盗塁王0度

★MVP2度、ベストナイン10度、ゴールデングラブ賞0度、球宴15度

★主な記録=三冠王3度、両リーグ200本塁打、1試合6四球

【江夏との通算対戦成績】18打数6安打、打率.333、2本塁打6打点4四球2三振

 オチ(落合博満)は社会人野球時代、76 年に4番・一塁手として東芝府中を創部23年目で初の都市対抗野球出場に導いた。78年には木田勇投手(のち日本ハム)、森繁和投手(のち西武)らとともにアマチュア野球世界選手権日本代表に選出された。のちに中日・落合監督のコーチになる森繁和君とはこの頃からの付き合いである。

 オチは78年秋のドラフト会議でロッテに3位指名された。巨人が江川卓君との「空白の一日」の契約無効の決定を不服とし、ドラフト会議をボイコットしなかったら、巨人はオチを2位指名する予定だったそうだから、オチの野球人生はどうなっていただろうか。

 オチは81年に頭角を現わした。

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 3番(指名打者)リー、4番(三塁)有藤、5番(一塁)レオン、6番(二塁)落合

 三塁は「ミスターロッテ」のアリさん(有藤通世)がドンと守っていたし、一塁はレオン。消去法の二塁手ではあった。しかし、その年のオールスター・ゲーム第2戦では、前年度ペナントレース優勝の全パ・西本幸雄監督(近鉄)がオチを全パの4番に抜擢するなど、先見の明を見せた。オチはその年、打率.326で初の首位打者を獲得した。

落合博満選手 ©文藝春秋

クセが出てきたらすぐわかる

 だが81年、私はオチをほとんど抑えている。安打を打たれたのは一塁後方、ライト線へポテンと落ちるような安打ばかり。左翼方面に引っ張られた安打は皆無だ。

 その81年、前期優勝のオチのロッテと、後期優勝の私の日本ハムが雌雄を決するプレーオフを戦った。結局、日本ハムがパ・リーグを制して、セ・リーグの巨人と戦うのだが、プレーオフ終了直後のことだった。

「江夏さん、食事に連れて行ってもらえませんか」

 その流れで麻雀をやった。オチがリーチをかけてきた。

「待ちはイーピンとスーピンやろ」

「なぜわかるんですか?」

「野球と同じや。クセが出てきたらすぐわかる。オチは、オレを全然打てないやろ。いい打者っていうのは、同じ球種をずっと待つもんだ。オチみたいに1球1球、狙い球を変えてくるほど、投手にとって打ち取りやすい打者はいないんだよ」

 あれをきっかけに、オチはいろいろ考えたと思う。