打率.276と極度の打撃不振に
「あれ? 江夏はきょう不調だから勝負を避けているのか?」
この気持ちの間隙を縫う。4球目に関単にストライクを取ったあと、勝負は5球目。何回ぐらい成功したか。結果はほぼ二塁ゴロだった。
もっとも、ブチ(田淵幸一)が69年に入団するまでの専属捕手『ダンプ辻』さんに言わせれば、私の投球をこう表現する。
「江夏の投球はほとんどストレートで、カーブは様子見かタイミングを外す捨て球。だから1センチ単位のストレートの出し入れで勝負した」
コントロールに対して自信を持つ私が、こと王さんに対しては、そこそこ多くの四球を出してしまった。それだけギリギリの勝負だったのだ。
王さんには通算868本塁打の中で、特に印象に残る本塁打が3つあるそうだ。1本は77年ハンク・アーロンを抜く通算756号(後楽園球場=ヤクルト・鈴木康二朗投手)、1本は公式戦ではないが、71年日本シリーズ第3戦の逆転サヨナラ3ラン(後楽園球場=阪急・山田久志投手)、1本は71年通算485号(甲子園球場=江夏豊)だ。
先述の通り、62年38本塁打を放ったのを皮切りに以降13年連続本塁打王に輝いた王さんだが、71年は39本塁打でタイトルを死守したとはいえ、打率.276と極度の打撃不振に陥った。川上哲治監督(巨人)が二本足に戻すことを進言したほどの重症だったという。
まさかの逆転3ラン
私はその試合、王さんを3打席連続三振。2対0とリードした9回表二死二、三塁。
ダンプさんがマウンドに2度も足を運んでいた。
「豊、やっぱりカーブをほおれよ」
「王さんをカーブで三振取ってもオレはうれしくないんや。真っすぐで勝負させてくれ」
この打席7球目となる153球目、ベルトの高さに内角ストレートを投じた。
打った瞬間は右飛だった。それを藤井栄治さんが風に乗った打球につられてバックする。金網にへばりついた。(え、金網に登るのか?)王さんの執念があと押ししたんだろう。打球は藤井さんの頭上を少し越えてラッキーゾーンにポトリと落ちた。まさか、まさかの逆転3ランだ……。
前出71年日本シリーズ、同い年の親友のヤマ(山田久志)のときは「ダイヤモンドを回るとき、宙を駆けるような感じだった」(王)けれど、私からの3ランのとき王さんは涙を流してダイヤモンドを回っていた。
のちの日本シリーズでゲスト解説した私は、目の前でヤマがひざまずいてうずくまったのを見たが、私だってそうしたい心境だった。
いつだったか王さんと対談したとき、
「あの当時は長いスランプで苦しかった。たくさんホームランを打ってきたが、豊から
打ったあの3ランは忘れられない。オマエはオレの最高のライバルだったよ」
「世界の王」の、投手に対する最高のほめ言葉。身に余る光栄である。