戦中生まれの風俗史家・下川耿史さんは、有名無名を問わず、戦後の日本社会で新たなエロの地平を切り開いてきた人々を記録し続けてきた。ここでは『性風俗50年 わたしと昭和のエロ事師たち』(筑摩書房)より、公許された日本初のセックス・ショップ「あか船薬舗」の逸話を抜粋して紹介する。

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マッカーサーも立ち寄った

 日本がアメリカなどの連合軍に降伏したのは1945(昭和20)年8月15日。8月30日にはマッカーサー元帥が神奈川県厚木飛行場に到着し、横浜のグランドホテルに入った。さらに3日後の9月2日、東京湾上の「ミズーリ」号上で降伏文書の調印式が行われ、日本は正式に連合軍の占領下に置かれることになった。

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 それから6日後の9月8日、マ元帥はグランドホテルを出発し、東京・日比谷の占領軍総司令部に入った。その間、おそらく降伏文書の調印式が行われた翌日の9月3日から東京へ向かう前日の7日までの5日間に、元帥は性の風俗史に記録の残る行動をとった。横浜・桜木町にあるセックス・ドラッグ「あか船」を訪れたのである。

マッカーサー元帥 ©getty

 経営者の加茂寛龍は私家本の『あか船の全て』のなかで、その時の様子を次のように述べている。

「いた、いた。確かにマッカーサーだった。写真でおなじみのあの服装で、パイプをくわえ将官を連れ、総勢6人で(商品を)眺めていた。私がおずおずと近寄ってあいさつすると、

『セックス・ドラッグとは珍しいね。看板が目にとまったので寄らせてもらった。しばらく見せてもらいますよ』

 30分ほど店にいて、さすがに買い物はしなかったが、機嫌よく帰って行った」

 私が「あか船」というセックス・ドラッグの存在を知ったのは学生時代だった。友人数人と横浜へ遊びに出かけた際、一人が桜木町へ行こうといって、この店へ連れて行ってくれたのだ。友人は私たちに「ここがマッカーサーが立ち寄ったセックス・ショップ」と説明したが、私は友人がデマを鵜呑みにしたのだろうと思って、彼の言葉を信じていなかった。

(中略)

 この話が事実だったことを知ったのは週刊誌の編集部に所属していた時だった。以来それが日本人とアメリカ人の性に対する感覚の差なのか、そしてそれは日米の感覚の差というだけですべてケリがつく問題なのか、ずっと気になっていた。そういう記憶もあって、「あか船」に取材したいというのはフリーライターになった時からの念願の一つだった。加茂寛龍の息子で2代目の和夫氏にあったのは1981年の春である。