ところでマッカーサー元帥が来店した後の「あか船」だが、「ボスが行ったセックス・ショップ」だというので、進駐軍の兵士がわんさと押し寄せてきた。彼らの目的はコンドームがほとんどだったが、当時のコンドームは粗悪品が多く、すりこぎのような大きな木型に品物をいちいちかぶせてピンホールがないことを確認していたという。ちなみにピンホールとはコンドームの小さな穴のことで、これがあると避妊の役をなさないのである。
その頃、横浜には米本土から、東京近郊の基地に勤務する兵士の家族が練習艦で定期的に来日していた。彼らは市民の間で「オシメ艦隊」と呼ばれていたが、この艦隊がやってくると、「あか船」のコンドームの売り上げがポンと跳ね上がった。しかしマ元帥のことがあってからはポンどころではなく、店の前にはいつでも300メートル以上の行列ができる騒ぎになったという。受け取った金も金庫にしまっている暇がないから、店の続きの四畳半に放りっぱなしだった。ある時など、店が終わって疲れ切った寛龍がドル札の上にうずくまって寝ていたほどである。
マ元帥来店の余波がもう一つあった。元帥は「第二次世界大戦を終わらせた男」としてアメリカだけでなく全世界のヒーローだったから、元帥がセックス・ショップに出かけたことは全世界の新聞で報じられた。寛龍は「第二次世界大戦に参戦した国で、あか船に取材に来なかったのはソ連と中国の記者だけだ」と笑っていたそうだ。
「オレのと同じ大きさの性具を作ってくれ」
その結果、コンドームや性具の注文が殺到したのである。宛先は「アカフネ・ジャパン」とあるだけで、それでちゃんと届いた。外国からの手紙は1か月に100通はくだらなかった。その中にはお金が同封されているもの、入っていても不足しているものなどさまざまだったが、お金が入っていた分については、たとえ不足していてもちゃんと商品を送ったという。戦後の混乱の真っ最中だったから、送るだけでも厄介な作業だったが、敗戦国の国民だからとバカにされたくないというわけである。1か月も経つ頃にはアメリカ軍の税関の軍人も協力してくれるようになったという。
「あか船」に転機が訪れたのは朝鮮戦争が勃発してからのことであった。
戦争が始まると、B4くらいの大きさの画用紙にペニスの絵を描いて「オレの勃起したペニスだ。これと同じ大きさのペニスの性具を作ってくれ」という注文が急増した。中には画用紙が一杯で、先っぽがはみ出しているのもあった。大きさは大体30センチくらいだったという。