ハライチの岩井勇気さんが「誰も僕のことなんか知らない」という気持ちでつづったエッセイ第2弾、『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(新潮社)。「35歳・独身・一人暮らし男性」の日常を描いた同書より、「想像の一人暮らし」をご紹介します。(全2回の2回目。前編を読む)
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30歳で始めた一人暮らしはちょっと違った
30歳になった頃、僕の遅めの一人暮らしは始まった。30代であろうが、初めての一人暮らしにはそれなりにワクワクした。お風呂に入る時間も決まっていなければ、何時に寝てもいい。食パンにマーガリンをどれだけ塗ろうが文句を言われないし、ベッドの上でアイスを食べても怒られない。アイスを布団にこぼしてカバーを汚してしまっても自分で洗えば済む話だ。一人の王国は、良くも悪くも無秩序だった。
しばらくその無秩序を楽しんでいたのだが、徐々に新鮮さは薄れ、始めたての興奮は、4年も経てばほとんど効き目を失っていた。そして、冷静になって自分の一人暮らしを思い返してみると、僕が求めていた一人暮らしは、どこかこうじゃなかったような気がした。
この違和感の正体をなかなか掴めずにいたのだが、最近分かったのである。恐らく今の一人暮らしが、僕が10代の頃に思い描いていた“一人暮らし”と違うからだ。
僕の遅めの一人暮らしは、20代で始める一人暮らしよりも経済的に余裕があったので、メゾネットタイプのアパートに住み、好きな家具を買い揃え、さらには車にも乗って快適に暮らすというものだった。これが10代の頃の僕の想像とのずれを生んだのかもしれない。
8畳ほどの部屋には、テレビやちゃぶ台
僕が10代の頃に思い描いていた一人暮らしのイメージはなぜか詳細だ。
外観が団地とも取れる旧めのマンションの4階の部屋。間取りは1K。玄関のドアは鉄でできた茶色いドアで、このドアが手で押さえてゆっくり閉めないと閉まる時にガチャン! とうるさいのだ。8畳ほどの部屋には、テレビやちゃぶ台があったり、ゲーム機が転がっているが、割とガランとしている。そして部屋の外にはベランダが付いている。
雲がぽかんと浮かぶ晴れた日、僕はフリーターなので昼の3時くらいにベランダに置いてある洗濯機を回し、その横に座ってタバコをスパーっと吸いながら、下を通る下校途中の小学生をぼーっと眺めている。
別の日は、バイト終わりの夕方。肉屋でコロッケを買って、袋をぶら下げながらマンションに帰ると、入り口を大家さんがほうきで掃除しており「ちわー……」と挨拶をしてマンションの階段を上る。
わかるだろうか。10代の頃に思い描いていた一人暮らしとは、この感じの一人暮らしだ。サイケデリックな色の、数珠みたいなすだれが部屋とキッチンを隔てている、あの一人暮らしだ。キッチンに付いている蛍光灯のスイッチを入れるとチカッチカッと点滅しながらゆっくり点く、あの一人暮らしなのだ。