デヴィンさんは、食べた際の感想はもちろん、大会日程を終え成田空港に向かう際にも「今、最後の福島の桃を食べた。最高にジューシーだった」と呟いてくれた。
「福島の桃」が持つ意味、重さ、福島の人たちの気持ちをデヴィンさんは十二分に汲んで、最高の形で繋いでくれた。
桃をお送りしたもう1人、マセソン美季さんも特別な思いを持ってこのプロジェクトに参加してくれた。
美季さんはパラリンピック開会式では国旗を運び、閉会式にも長年手がけてきた教育活動「I'm POSSIBLE(アイムポッシブル)」の主要メンバーとして参加している。デヴィンさんと同じく、カナダ在住の美季さんも大会期間中に来日し、サポート業務で多くの会場に足を運び声援を送ったりと多忙を極めていた。
果たして桃を受け取ったり、配ったりする時間や精神的な余裕はあるだろうか。
しかし「桃を送りたいんですけど」と恐る恐るたずねると、「みんなに責任持って配ります!」と即答頂いた。
3箱の桃というのはなかなかの数だし、何より重い。車いすの美季さんにお願いしてもいいのだろうかと一瞬躊躇したが、美季さんはパワフルで力持ちなので、まぁ大丈夫だろう。
桃が届くと美季さんはすぐに、パラリンピックで選手の体をケアするポリクリニックのお医者さんやスタッフさんを中心に配ってくれて、桃の大きさに驚いている様子や、「私も絶対に6個いける」というコメントを桃を持った写真とともにSNSで投稿してくれた。また食べごろまで数日待ってくださいと伝えていたが、「明日まで待てない」「2つ食べたい」というかわいい反応も共有してくれた。
選手のパフォーマンスの鍵を握る人たちには、2個でも3個でも、6個でもどうぞどうぞ召し上がってくださいという気持ちだった。
あだなが「ピーチガール」に
勝手に「福島の桃デリシャス」プロジェクトのパラリンピック桃大使に任命したにもかかわらず、快諾いただいたのは理由があった。
「実は私のパラスポーツデビューは、福島で行われた国体(全国身体障害者スポーツ大会)うつくしま福島大会だったんです。それで福島には勝手に思い入れがあって、デスクにも『三春駒』が飾ってあります。三春駒は福島の伝統工芸品で、国体の時に買った思い出の品です。三春というのは梅桃桜が一度に咲いて、3つの春が同時に来ることに由来しているそうで、私にもスポーツを通して3つの春が来るように、と思いながら購入しました。だからパラリンピックをきっかけに、福島の皆さんに何かできないかな、と思っていました」
美季さんにお願いして本当によかった、そう思った。ちなみに美季さんは、桃を配った人たちに「ピーチガール」と呼ばれていたそうだ。ナイスネーミング。美季さんの福島への思いもきっと多くの人に届いたはずだ。
「私も絶対に6個いける」と言っていたが、さすがにそのチャンスはなかったらしく「次回は箱買いしてたらふく食べたい」とのこと。ぜひ来年以降にリベンジしていただきたい。
「TOKYO2020」は閉幕したけれど、復興はまだまだこれからだ。
福島の桃は大会期間中、多くの人を笑顔にし、我々の心を繋いでくれた。その笑顔の輪がこれからも増えていくといいなと思う。