年収2000万で小遣い2万円の商社マン
おカネを持っていれば持っていたで、あっちのお父さんは年中家族で旅行に行っているとか、タワーマンションに住めばあっちの奥さんはもっとグレードの上の湾岸タワマンに移住して高い階でもおいしいお米が炊ける炊飯器を買っているとか、人間の欲望と比較対象は常に青天井です。
比較的上手くいってるなと思っていた同級生は商社マンで、日本に戻ってきて年収2000万の暮らしをしているのにしょぼくれたスーツを着ていて、子どもが中学受験で私立小学校とSAPIX通いで小遣いが2万円だと言われると「そう…」と思ったりもします。それだけの年収を貰っていても、ボーナスを抜けば手取りは毎月80万円ぐらい。都会暮らしで住宅ローンや子どもの受験代を払っていたら、実のところそこまで楽勝でもないのが人生です。こんなに稼いでいても、この程度の生活なのかと嘆かれることが多いのはこのぐらいの年収で、子どもに教育費がかかる30代後半から40代が多いでしょうか。そのぶん、太陽をいっぱいに浴びて外で遊んでいる区立通いの家庭の健全さが羨ましく見えてしまうのも、隣の芝は青いからです、たぶん。
かと思えば、町内会ではどんな仕事をしているのか分からんような中高年の面々が、疲れた表情で自治体から相談された美化運動や高齢者見回りの割り当てを貰って白い顔でおのおのの作業に向かいます。去年町内会に来たときはどこそこの大手製造業で執行役員をやっていたと前歴で威張り散らしていた人が、家庭でも地域でも居場所がなくなって薄くなる髪と共にだんだんと生気を失い、とぼとぼと軍手と箒を持ち駅前を掃除しているのを見て「人間って何だろう」と思います。
「人生のネタバレ」が溢れかえるなかで
それもこれも、いわゆる「親ガチャ」。つまりは人間の出来不出来は一種の運命論であって、両親の所得や資産、人脈のあるなしや、両親から譲り受けた遺伝的特徴の優劣でだいたい決まってしまっている、自分の努力ではどうにも埋められない深く広い溝があるのだという思想が根底にあるように感じます。
それは、以前なら「毒親」とか「人生クソゲー」などのキーワードと共に消化されてきたネタバレ人生みたいな側面もあるのでしょう。先日、評論家の御田寺圭さんも若者の諦観を解題して「人生のネタバレ」というワードで解説していましたが、これらの議論が深い共感を集めるのも努力して上積みをしても、すでに中高年が椅子を独占し、必ずしも自分の富が増えるわけでもなく、苦労に見合う幸せが得られないのではないかと思う若い人たちが少なくないからなのだとも思います。
親ガチャ、反出生主義…若者たちは「人生のネタバレ」に絶望している
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87455
自分自身が上手くいかないのは、自分の責任ではないのだ、実家の太さや両親から受け継いだ遺伝や社会など環境がいけないのだ、と他のことに原因を見出す。
いま起きているうまくいかないことや、他人との比較で劣っていることは、誰かのせいなのだとすることで、自分自身がスッと楽になる瞬間が、おそらくはそこにあるのでしょう。