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 この場所には今までなかなか超えられなかった壁を乗り越えることができる要素がたくさん詰まっているのである。

署名運動を行った公園建設予定地。右手には多摩川、手前には運河が流れ、奥には飛行機が見えるロケーション。 ©Yoshio Yoshida

プロスケーターからも良い方向にいってほしいとの声が

 ではこれらの一連の活動を現役の選手たちはどう見ているのだろう。大田区を代表するプロスケーターで、全日本選手権優勝など輝かしい経歴を持つ池田大亮選手(いけだだいすけ・21)にも話を聞いてみた。

池田大亮選手 ©Yoshio Yoshida

「実は糀谷のスケートパークのオープン前に滑らせてもらったんですけど、すごくいい施設だと思いました。雨が降っても天候を気にせず滑れるコンクリートのパークは全国的にも貴重なので、現状は正直言って悔しいです。

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 今はオリンピックを目指してるキッズもたくさんいるし、そういう人達のためにも開けてほしいなと思いますね。もちろん夜遅くまでなんて言いません。せめて19時くらいまで開いていれば、地元のスケーターも絶対に上達すると思います。オリンピック以降一般からの目線も優しくなったと思うので、今後は良い方向にいってほしいなと思います。

 羽田のパークに関しては、実は前にもできるという話があったけど、結局できなかったという話を聞いています。そういった経緯もあるだけに、今回は実現してほしいですね。あそこは土地もかなり広いので、建設が決まったらかなり大きい施設になるんじゃないでしょうか。話が順調に進んで決まった際は、設計とかもしてみたいなと思っています」

 このように現役選手からの言葉には切実な願いが込められていた。どうにかして共存への道はないのだろうか。

スケートボードとの共存の道

 今回の取材を通して、糀谷の高架下スケートパーク事業の中止騒動と天空橋のパーク建設運動には、良くも悪くも日本が古くから抱えている価値観によって、自ずと形成された社会の縮図が詰まっているように感じた。

 しかし時代は常に変化し続けている。スケートボードがオリンピック競技になり、日本人が金メダルを獲得すると誰が予想できただろうか。オリンピックによってスケートボードの持つ素晴らしいカルチャーを知った日本が、今後どのようにしてスケートボードとの共存の道を歩んでいくのかを、しっかりと見届けていきたいと思う。