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初回放送は1969年…脚本執筆歴60余年の巨匠が明かす『サザエさん』が“超ご長寿番組”に育った“納得の理由”

初回放送は1969年…脚本執筆歴60余年の巨匠が明かす『サザエさん』が“超ご長寿番組”に育った“納得の理由”

『辻真先のテレビアニメ道』より #1

2021/10/03

「ガタの来ている扇風機」「突然消える電球」ネタはNG

 ついでだからその後の話もしておこう。

 家電産業として視聴者にじかに向き合うスポンサーなのだ。販売中の電気製品に瑕疵があると思われては絶対に不都合である! 当たり前のことだが、放映開始時のぼくはそんな局面を考えつかなかった。

 あっと思ったのは、ぼくが気に入っていた原作の4コマで、ガタの来ていた扇風機が電源を入れると少しずつ踊り出し、ついには帰るお客さんの後にくっついて玄関までノコノコ出て来るという場面だ。

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「まあ、お客さまをお見送りしてるのね」

 ヒョコヒョコと移動する扇風機をアニメで見せれば、さぞ愉快だろうと思ったのだが、受けつけてもらえなかった。仮にも東芝マークの扇風機に、そんなガタが来るはずはないのである。

 同じ理屈で磯野家を照らす明かりが、突然消えることもあり得ない。若い読者に言っておくと、タングステンの白熱電球はフィラメントの老化によって、前ぶれなしにフッと消えることがある。むろんマツダランプは不滅だから、フィラメントが切れるなんてあるはずがない。

 話の都合でどうしても灯を消さねばならぬときは、磯野家の前の電柱にトラックをぶつけた。電燈が消えたのは東芝の責任ではないと、番組内で明示する必要があったからだ。

 故障のときはそんな調子でなんとか誤魔化したものの、まるで新しい家電製品が発売されたときは困惑した。

エアコンは拒否したものの……

 磯野家にエアコンを入れてほしいという意見をもらったときだ。これは制作スタッフとして丁重に辞退した。

 夏の真っ盛り、波平やマスオが会社から帰宅して茶の間に入ると、

「おお涼しい」

「やはりエアコンはいいですねえ」

 というシーンにするには、襖は締めっぱなしの画面になる。それでいいのか?

©️iStock.com

 

 汗をかきかき帰って来ると、座敷まで建具はすべて開放され、簾が涼しげな影を落としたその先には、打ち水された庭がひろがり、どこかで風鈴が鳴っている——。

 おお、これこそ日本を代表する磯野家の夏ではないか。

 そんな理屈でエアコンを拒否した。

 だがそうなると、

「夕立だわ、洗濯物を取り込んで頂戴」

「大丈夫よ、乾燥機を使ってるから」

 という会話まで否定して物干し竿に飛びつかせるのが正しいのか。それならいっそ盥で行水しろとなりそうで、時ならぬ日本文化論が展開してしまう。

 結局、洗濯機や冷蔵庫などメインの家電製品は新型が出るとあえて話題にせず、いつの間にやら作画で描き込んでおくという方式が出来上がった。

 これは番組初期の黙契だから、東芝の手を離れた現在はどうやり繰りされているのか、ぼくは知らない。

 ガラケーが根こそぎスマホに進化して、子どもの話題にゲームが不可欠となった令和世代だ。頑固な波平もパソコンと向かい合っているのか、あべこべに『サザエさん』そのものが、徐々に時代劇化してゆくのか。

 ぼくの年代で日清戦争は遠い昔のイベントであったが、平成から令和に生きる若者にすれば、太平洋戦争も同等の昔話となるわけだ。長寿番組の存在そのものが、やはり日本文化論の素材に行き着くわけだ。

 だが現在や未来は知らず、この本の務めとしては『サザエさん』事始め——昭和44 年10 月の頃の四苦八苦を書き留めておかねばなるまい。