映画にないテレビドラマの持ち味
実写版の『サザエさん』をいくつか見ているが、過去の作品では主演者の知名度(江利チエミがサザエに扮して、定評があった)や個性によりかかった感が深かった。アニメでは俳優に頼らぬ独自の魅力を発見せねばならない。
ぼくはNHK時代に帯ドラマ(毎日一定の時刻に開始する連続ドラマ)『バス通り裏』を演出した経験がある。まだホームドラマというジャンルはなく、まして毎日放映なんて見当がつかなかった。1回が15 分だから、月曜から金曜まで通せば1時間15分のボリュームがある。ちゃんとした重量感のあるドラマを放映出来ておかしくない。
作者の筒井敬介と須藤出穂は苦心した。ふたりともベテランの脚本家だが試行錯誤した。1週通しで統一したドラマを創ったこともあったが、最後に落ち着いたのは、筒井敬介言うところの「ニコニコ大会」である。
なまじドラマらしい構成をとるより、キャラクターの味を全面に押し出し、視聴者に馴染ませることにした。
これはうまく行った。
玄人の批評は「メシばかり食べてる」と芳しくなかったが、一般の視聴者には歓迎された。架空のキャラクターが実在して、自分たちの町内に住んでいる。そんな錯覚を与えることに成功したわけだ。
映画にない、テレビならではの持ち味が、すぐ足元に転がっていたのだ。
今となって反省するシチュエーションコメディ調の『サザエさん』
だから『サザエさん』でも、ぼくは同じ作戦を立てるべきであった。実写ではどうしても俳優が前に出るが(『バス裏』では十朱幸代や岩下志麻といった、視聴者には白紙の新人を軸にした)、アニメはもともと架空の人物に決まっている。
まずキャラの面白さを正面に押し立てるのが、テレビアニメとしての正攻法だろう。50年後に思うのは、ぼくに判断ミスのあったことだ。
アマゾンで配信される昔の『サザエ』を見て、ファンからびっくりしましたと、お便りをもらった。
「初期はあんなにドタバタだったんですね」
お恥ずかしい。
キャラよりも話作りに力が入り、シチュエーションコメディを志していたのだろうか。ガッチリした原作があるのだから、どの4コマをどう使うといった設計より、放射されるキャラのオーラを受け止めて、7分間をたっぷり泳がせてあげれば良かった。
引き合いに出して申し訳ないが、雪室脚本の中を遊び回るタラちゃんの姿を見るにつけ、自作の欠点が目についていけない。
今になって反省しても追いつかないから、実際にあの番組の脚本がどんな順序で書かれて行ったか、メモとして残すことにしよう。