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“音の匠”として表彰されたチャイム音と「福祉工学」

――このチャイム作成により「音の匠」として表彰されてもおられますが、福祉工学者として叔父・伊福部昭の作品に繋がる仕事をすることになるとは思いもしなかったのではないですか?

伊福部 そうですね。考えてみると、さまざまな因縁があるのかもしれません。チャイムが完成したのは2007年のことですが、叔父はその前年に亡くなっていますし、『シンフォニア・タプカーラ』が作曲されたのが1954年で、みなさんが叔父のことを記憶してくださっている『ゴジラ』公開の年と同じ。それに「タプカーラ」とはアイヌの踊りの1つなんですが、叔父にとってアイヌ文化は、少年時代を過ごした音更時代にアイヌの人と交流して以来の大きなテーマでしたから思い入れもひとしおだったと想像します。

机には伊福部昭の『管弦楽法』もある

 私としては「福祉工学」を応用して、どなたにも聞こえ、不安を煽らずに注意を喚起できるような音作りをしたに過ぎませんが、少なからず音の仕事で叔父との縁が結ばれているなら、不思議なことですね。叔父は「優れた音楽は、民族の特殊性を通過してはじめて、普遍性に到達する」を信条としていましたが、私も「真に残る技術は、人間の深部に潜む感性、情緒、能力に訴える力を持っている」を信条としていました。最近、この点にもどこかに共通点があるのかなと思うようになりました。

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――現在は東京大学・高齢社会総合研究機構の特任研究員として活躍をされています。福祉工学の第一人者として、これからの社会で実現していきたいこととはどんなことでしょうか。

伊福部 1つは日本で避けられない高齢化社会を、いかに良いものにデザインできるかが課題だと思っています。医療や介護の世話にならない元気な高齢者を増やすためにはどうすればいいか、世代間格差の不公平感や溝を埋めるためにはどんな策が必要なのか、分野を超えた知恵を結集して解決策を探さなければならないと思っています。もう1つは、最近、人工知能が人間の仕事を奪ってしまうのでないかと不安にさせるニュースが多いのですが、それにはあまり怖れるに足らず、ということを言いたい(笑)。

 

――どういうことですか?

伊福部 ちょっと騒ぎすぎのような気がしますね、人工知能に対してみなさん。あくまで人工知能がカバーしようとしているのは人間の脳の表面というか、論理的な部分だけだと思うんです。でも実際、人間が人間である部分、例えば感情とか、情緒とか、感性とか、心を寄せるとか、クリエイティビティとか、そういう非論理の部分は人工知能にはむずかしい問題なんですよ。この辺りは、神経回路でどうにかなるものではなくて、ホルモンなども関わる作用ですから。さっきのチャイム音作りにしても、どんな心理的影響を与えるかなど、微調整に微調整を重ねて作りました。それはビッグデータとプログラミングである程度のところまではできるかもしれないけれど、完成させるのはやはり人間の感性と調整能力です。

 だから、もっと人間の能力を信じてもいいんじゃないかなと思います。逆に、人間のこのような能力を感じ取れる人工知能ができれば、きっと人間と心が通い合い、人間のことを思って働いてくれるロボットにも活かされるでしょうね。真に人間と共生できる人工知能やロボットを作る上でも、福祉工学は役に立つでしょう。人の感覚研究や福祉機器開発をしている者としては、そんなふうに考えています。

 

写真=平松市聖/文藝春秋

いふくべ・とおる/1946年北海道生まれ。工学博士。専攻は生体工学、音響工学、福祉工学。東京大学名誉教授。北海道大学名誉教授。北大大学院工学研究科修士課程修了。スタンフォード大学客員助教授、北大電子科学研究所教授、東大先端科学技術研究センター教授を経て現在に至る。著書に『音声タイプライタの設計』『福祉工学の挑戦』『福祉工学への招待』『福祉工学の基礎』など。監修に『ゴジラ音楽と緊急地震速報』。