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NHKの「緊急地震速報」のチャイム音と「叔父の和音」

――聴覚研究から、難聴者の感覚研究に進み、伊福部さんは「福祉工学」、視覚や発声を補完するための研究開発や高齢社会デザインまでつながる学問分野を世界で初めて確立されます。こうした研究のパイオニアが、どうしてNHKの「緊急地震速報」のチャイム音を作ることになったのでしょうか? 

(NHK緊急地震速報のチャイム音)

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伊福部 NHKから、縁のあるディレクターを通じて私のところに依頼があったのは2007年のことです。私は音楽家でもないし、第一、そんな重要な仕事を簡単にはお引き受けできないとお断りしたんですが、どうしてもと。それで、私が作るなら5つの条件をチャイム音に入れることに同意して欲しいとお願いしたんです。

――5条件とは何でしょうか。

伊福部 緊急性を感じさせる。不快や不安を与えない。騒音の中でも聞くことができる。難聴者も聞ける。どこかで聞いた音ではないこと。この5つです。

 

――この5条件をクリアする音作りを開始するわけですが、メロディはどうやって作り始めたんですか?

伊福部 いろいろと頭の中でイメージしたメッセージ性のあるメロディはあるんです。ですが、チャイム音といえども、ある曲の一部を使ったということになると、厳密には著作権に引っかかってしまう。そこで、これは叔父の音楽に頼ろうと。そこで思い浮かんだのが『シンフォニア・タプカーラ』第3楽章冒頭の和音だったんです。

(『シンフォニア・タプカーラ』第3楽章冒頭)

「緊急地震速報のチャイム音は『ゴジラ』のテーマ音楽から作られたらしい」という噂があったそうですが、それは違います。だいたい、ゴジラ音楽は知られ過ぎていますから「何だ?」と注意喚起するチャイム音にはふさわしくないし、第一不安を煽ってしまいます。先の5条件には適合しません。

――『シンフォニア・タプカーラ』の和音は、どうしてチャイム音に適していると考えられたのですか?

伊福部 ちょっと楽理的な話になってしまいますが、この冒頭の「ワァーン」という和音はコードでいうと「G7(#9)」というものです。

 

 チャイム音はこれを「C7(#9)」に移調したのですが、「C」のドミソの和音にシのフラットとレのシャープが入ることで不協和音になって音程関係が緊張関係を生みます。ヒッチコックの『サイコ』の有名な効果音がありますでしょう。あれはまさに不協和音が作り出す緊張音の効果を狙ったものです。

『サイコ』の一場面を観ながら解説して下さった

どうして不協和音をバラバラの音の5連符にしたのか?

――『サイコ』の音楽は不協和音が「キュッ、キュッ、キュッ、キュッ」と音の塊として連続するものですが、緊急地震速報のチャイム音は「タララララ、タララララ」と不協和音をバラバラの音の連続にしています。これはどうしてなんですか?

伊福部 タララララと楽譜上で言えば5連符にしているのは、音が上昇していくのを効果的に聞かせたいからです。なぜかというと、難聴者にとって聞こえやすい音はヒュッと上がる音なんです。人間の聴覚というのは上昇する音に注意が喚起されるようになっています。「キャー」って悲鳴も、微妙に音程が上がっているんですが、それは注意を喚起したいから。下がると気が抜けちゃった感じで変でしょう。

(下がる音型のチャイム)

音型は様々なパターンを試しました。同じ音型を繰り返しては「動こう」という気持ちにはなりにくいだろうとか、

(音型が同じパターン)

トリル(装飾音)をつけると不安を掻き立てすぎるとか、

(トリルがついたパターン)

テンポが遅すぎると緊急性がなくなるとか、試行錯誤の連続でした。

――どれくらいのパターンを作ったんですか?

伊福部 最終的に20〜30パターンを作って、7個に絞り込みました。最後は難聴の方、子ども、お年寄り、様々な方にご協力いただきまして、NHKのスタジオで試験をしました。台風の音だとか、電車の音だとか、いろんな環境雑音を鳴らした中でも、みなさんにちゃんと聞こえるかどうか。子どもにはアニメを観せて、夢中になったところでチャイムを鳴らして反応があるかどうかを確かめたりもしました。

 そして、どれが一番緊急性を感じて、どれに不安を感じたかなど、アンケートを膨大にとって、先の5条件に一番ふさわしいものを探しました。2案まで絞ったところで、最終判断はNHK会長なんですけど、これしかないだろうと我々も思っていたものが選ばれて、採用に至りました。後日、このチャイム音を聞いた犬や猫が逃げたという話を聞きました。人間以外の脳の深いところにも作用する音型なんだと、ちょっと驚きました。

伊福部教授の本と伊福部昭のCD