ちょっときつい言い方だったかもしれんけど、兄さんに「今、あなた、誰と話しよる?」って聞いたの。そしたら「尾畠さんと話しよる」って。「そうだよな。あなた、今、ワシとサシで話しよるのに、どうして真っ直ぐワシの目を見て話しないの?」って、こう言うたんですよ。
そしたら兄さんがちょっと間を置いて、「……おいちゃんともっと話したいわ」ちゅうた。だから「あぁ、いいよ。ここのボランティアが終わったら大分においで。一緒に飯食ったり、温泉に行ったりしようよ」って誘ったんよ。そしたら兄さん、「分かった。おいちゃんとこ、必ず行くよ」って。
ボランティアが繋いだ縁
一緒に作業したのは、その1日だけだったけど、後日、兄さんははるばる和歌山から車を運転して、カーフェリーを2度も乗り継いで大分まで来たんだわ。「これ、うちの母ちゃんから」ちゅうて、なんか立派な南高梅の梅干しをもらったの。「今回、息子が急にお邪魔をしてすみません。よろしくお願いします」ってお母さんが書いた手紙も渡されてね。あぁ、お母さんもやっぱり心配されてるなって。
兄さん、うちに泊まってね、一緒にパック飯を食べて、温泉行ったりして。3時までずっと話して。午前3時じゃないよ、翌日の午後3時まで一晩一睡もせんで話したんよ、本当よ。
兄さんは自分の今までの人生をワシに話してくれた。高校を卒業してどっかの企業で働いたんだけど、人付き合いが難しくて、もう悩んで悩んで会社を辞めてから、ずーっと家で籠りっきりやったらしいんよ。自分の部屋から出てくるのは、トイレと飯の時間だけ。「お父さん、お母さんは何も言わなかった?」って聞いたら「うん」ちゅうた。それ以上、聞かなかったけど、ワシが思うには、親は余計なことを言ったら、息子がもうこれ(自殺)するやろうなって心配したのかもしれないわ。そうしたら、ある日、その兄さんのじいちゃんが「お前、そんなことしちょったら、人生、ダメになるよ。今、宮城県の南三陸で、大変な地震が起きて被害が出ているから、ボランティアして来い」ちゅうたらしいわ。
心の病を持った人がボランティア活動するのは、しんどいんじゃないかと世間の人は思うよね。でも、ワシに言わせれば無心で体を動かすのはいいこと。最初のうち、うまくいかなくても、グループになって同じ作業をするわけだから、他の人のスコップの使い方や土囊袋の括り方を見て「おぉ、そうか。こうするんだ」って新しい発見がある。一生懸命、覚えてうまくなれば「若いのに、よく知ってるな」とか他の人に褒められるでしょ。