2018年8月15日、山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳児を発見し、つつましく暮らし、ボランティア活動に励む尾畠さんの静かな生活は一変した。押し寄せる取材、周囲の人のさまざまな言葉……。激変した生活を当時の尾畠さんはどのように感じていたのだろう。

 ライター・フォトグラファーとして活躍する白石あづさ氏は、尾畠さんと3年にわたって交流を重ね、『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』(文藝春秋)を執筆した。ここでは同書の一部を抜粋し、尾畠さんが明かす当時の心境を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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押し寄せるメディア

 その日を境に自分を取り巻く世界が変わる――。尾畠さんにとって、2018年8月15日は、人生の大きなターニングポイントだったのではないだろうか。行方不明になったヨシキ君の奇跡的な救出劇に世間は驚き、瞬く間に尾畠春夫の名前は全国に知れ渡った。

「山口の2歳児救出、尾畠さんに称賛相次ぐ 『さすがだ』」(サンケイスポーツ新聞)、「2歳児発見の尾畠さんに表彰続々 知事や地元市町」(朝日新聞)など新聞や週刊誌などには称賛の見出しが躍り、テレビでも尾畠さんへのインタビューが繰り返し放送された。

 最初こそ発見を称えるニュースだったが、そのうち、尾畠さんの独特な生き方やボランティアに対する矜持、壮絶な半生などが伝えられると、ますます報道が過熱。毎月の年金5万5千円でつつましく暮らし、地道にボランティアを続けてきた尾畠さんの静かな生活は一変した。

 今までの人生で、これほどのスポットライトを浴びたのは初めてだった。自宅前には何台ものメディアの車が停まり、家の前にはインタビューの順番を待つ記者が並んだ。その騒ぎで車が通れないと、ご近所から苦情が来るほどであった。

 それでも、尾畠さんは押し寄せた記者たちを追い返すことはせずに、朝から晩まで一人ずつ丁寧に対応した。普段の日常生活に戻れないことは尾畠さんにとって、さぞストレスだったろう。メディアを選んだり、しばらくの間は、断るといった選択肢もあったと思うのだが、なぜ片っ端からインタビューを受けたのか。

 聞いてみると理由がふたつあるという。

「ひとつはね、記者のみなさんだって仕事なんよ。わざわざ東京から来て手ぶらで帰っては上司に怒られるかもしれないし、彼らにも養っている妻子がいるかもしれん。ワシだって魚屋時代、たくさんの人が魚を買ってくれて息子を大学まで出せた。だからお互いさま。ワシは誰でも『来る者拒まず、去る者追わず』だからね」