私自身も尾畠さんと接するうち、価値観が少しずつ変わっていったように思う。その時は気が付かないが、後日、ふとした瞬間に尾畠さんの言葉を思い出すことも多々あった。
普段、一人で都会に暮らしていても何も困ることがない。スーパーに行けば食材は手に入るし、お金を出せばあらゆるサービスが受けられる。スムーズに暮らしが成り立つ分、人との縁や関わりは薄くて済む。そうした都会の「適度な」距離感が心地良かった。だから……なのか、被災地や困っている人のニュースを耳にして、大変だなあと思っても、それがリアルに迫ってくることもなく、心の底ではどこか他人事であったかもしれない。
けれど、人は一人で生きているわけではない。目には見えなくても、たくさんの「赤の他人」に支えられている。いざ自分が災害に遭えば、多くの人の助けが必要となるだろう。何度も大分に通ううち、「明日は我が身」という尾畠さんの言葉を身近に感じるようになった。
安定した仕事やお金も大事ではあるが、それよりも、今の日本に必要なものは、他者への想像力とほんの少しの優しさではないか。それこそが、人が生きていく上での希望になるのだと、そんな大切なことを何年もかけて尾畠さんから教わった気がする。
「スーパーボランティア」が流行語大賞
尾畠さんが心無い人たちから理不尽なことを言われて落ち込んでいるのに、私にできることが考えても見つからないのが申し訳なかった。
その日、東京に帰る私に手を振る尾畠さんがいつもより、小さく弱々しく見えた。尾畠さんはどうやって立ち直るのだろう。一人で静かな山に行き、傷ついた心を癒すのだろうか。
落ち着くまではと連絡を控えていたら、その1か月後、年末の流行語大賞トップテンに「スーパーボランティア」が選ばれたという記事を目にした。ニュースに登場した尾畠さんは、いつもの調子で「スーパーでもコンビニでもない。ただのボランティアだ」と笑わせながらも、その言葉は気に入らなかったようで受賞を辞退したという。
私には尾畠さんが断った気持ちがなんとなく分かるような気がした。単に謙虚だから断ったのではなく、「スーパーボランティア」という言葉が一人歩きすることで、ボランティアのハードルが高くなり、「私には無理」「特別な人だけ」と思う人が増えてしまうことを、尾畠さんは警戒しているのではないか。「スーパーボランティア」は、「誰だってできることはある。まずは一度、被災地に来てほしい」という尾畠さんの想いとは、かけはなれた言葉なのかもしれない。
相変わらず尾畠さんのニュースは続いたが、全国を駆け巡った大きな話題であっても、いずれ消費されていく。今は大変だが、そのうち落ち着いた生活を取り戻せるかもしれない。(以上、書籍『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば (文春e-book)』より抜粋)
【前編を読む】「起きてから慌てるんじゃ遅いんよ」“スーパーボランティア”尾畠さんが語る自然災害で生死を分ける“心構え”