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給食の「犬食い」を命令された小学生時代

 鈴香受刑囚は小学2年生の時に担任教諭に「水子の霊がついている」と言われてから、「心霊写真」というあだ名で呼ばれるようになった。給食を時間通りに食べられずに、教諭の命令で手の上に乗せて犬食いをさせられるようになった4年生からは、手からポロポロ食べ物が零れ落ちる様子をからかわれ「ばい菌」といじめられた。父親が暴力を振るう家庭で育った鈴香受刑囚にとって、食事とは恐怖の場だったのです。それを教諭にも告げられず、黙って犬食いを強いられたのも、暴力やいじめは自分が我慢してやり過ごすしかないと思う環境で育ったからです。だから、作文の供述調書にも指印を簡単に押してしまうし、弁護士に怒られるからと、指印を押したことを打ち明けられなかったのです。

畠山鈴香受刑者 ©文藝春秋

 そうして育った彼女には、不自然さが際立つ性格が形成されていった。事故で処理されたことへの不満で彩香ちゃん事件の捜査を求めるチラシを作ったり、1審の最後に豪憲君の家族に土下座したように、時に奇異な行動を起こすのです。類似事件が起きれば、彩香ちゃんの事件の捜査もしてくれるだろうという単純な発想で豪憲君に手をかけたのです。

 彼女は、「家族は巻き込みたくない」とよく言っていた。しかし、私は彼女の母親から「本当のことを思い出したら、せめて私にだけは言ってほしい」との思いも聞いています。ところが、法廷が駆け引きに終始して判決を急いだことで、記憶の再生は物理的に不可能になった。生育歴を紐解き、動機を解明し、事件の真相に迫ることなしに、あらゆる事件の再発防止の根本的な機運は盛り上がりません。真相を葬ることで不利益を被るのは社会そのものなのです。社会の代表者たる法曹三者に課せられた責務は、量刑を決めることだけではないはずです。