長大なサーガ系の物語を書き続けた小中学生時代
――作家生活の10年をちょっと振り返ろうと思うんですが、その前にまず、はじめて書いた小説の話を。小学3年生の時でしたっけ。
辻村 それくらいです。講談社X文庫ティーンズハートが全盛期だった頃で、クラスで自分たちも恋愛小説を書くのが流行っていたんです。でも、私がティーンズハートのメインである恋愛小説を読もうとしても「え、現実に好きな人もいないのに、この内容が分かるの?」みたいなことになりそうで、ちょっと怖くて読みたいと言えませんでした。そんな時に、小野不由美さんの「悪霊」シリーズ(1989年~/のちに「ゴーストハント」シリーズとして「幽ブックス」から刊行)に出会ったんです。
その中にも恋愛は出てくるんですけれど、誰々君が好きだから両想いになりたい、というものとは正反対を行く、人を好きっていうのはこういうことでいいんだ、という結論が書かれたもので。ものすごく救われた気持ちになりました。「悪霊」シリーズだっただけに、そこからなぜか悪霊とか幽霊が出てくるものばかり読みはじめました(笑)。自分でも『さまよえる悪霊のなかに』という怪談みたいな小説を書きました。
みんなが書く恋愛小説はたいてい自分と自分の好きな人がモデルになっているものだったので、私が怪談ものを書いても誰も読んでくれない(笑)。それでも一応、最後まで書いているんですよね。今思うと、誰も読んでくれないのに最初に書きはじめた小説を終わりまで書いたというのは、なんかすごく健気な感じがして。タイトル笑えますけれど(笑)、その時の自分のことは笑えないなって気持ちがします。
――いやあ、最後まで書いたのは立派です。この連載の読者からの質問でも、小説家を目指しているけれど、最後まで書き切れない、という相談はとても多いです。
辻村 あ、最初のそれだけなんですよ、書き切ったのは。そのあとファンタジーなんかを書きはじめたら、一大サーガになっちゃうんです。何々篇も書かなきゃ、みたいな(笑)。大長篇になってしまうので、ティーンズノベルの巻末の原稿募集も、規定枚数を見て「ああ、こんな枚数では私の世界観は測れない」って(笑)。今、小説家を目指して書いていてなかなか完結できないという人には「ああ、あなたもサーガ系ですね」と言いたい。もう他人とは思えないんですけれど、一回その枠組みは捨てて、何か短くてもいいから独立した話、しかも友達がモデルだというような内輪受けのところからも離れて、ひとつ書き切ることを薦めたくなります。すごく自信になりますから。
私の場合も、そのサーガ系みたいなファンタジーを書いている時に、ティーンズノベルのあとがきに「厳しいことを言うかもしれませんが、小説を書きあげたことがない人は小説を書いているとは言えないと思います」と書かれている方がいて、それを読んですごくショックを受けました。「だって私の頭に中にあるこのすごいストーリーは……」と思ったんですけれど、でも最初に書いたあの話は短いけれど最後まで書いたんだと思えて、それはその後の自信になってくれました。
――サーガ系時代はいつぐらいまででしょう。
辻村 長いんですよ。小4から中3くらいまでですね。中学時代はそれに費やしてしまったんです。今思うと、小野不由美さんの「十二国記」シリーズ(1991年~/のち新潮文庫)の真似だったなと思います。小野さんが好き過ぎて。荻原規子さんの『空色勾玉』の三部作(1988年~/のち徳間文庫)や『西の善き魔女』(1997年~/のち角川文庫)からもすごく影響を受けていました。長いのに読んでくれる友達がいて、キャラクターの絵を描いてくれたりしたので、そのフィードバックが嬉しくて嬉しくて。みんなが時間をかけて読んで絵を描いてくれるということは、一応最後まで読んでもらえるくらいの文章になっているんだと思えて、それも自信になりました。
ファンタジーにどっぷり浸っていた頃、片っ端から本を読んでいくうちに田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』(1982年~/のち創元SF文庫)と『アルスラーン戦記』(1986年~/のち角川文庫版、カッパ・ノベルス)と『創竜伝』(1987年~/のち講談社文庫)に出合ったんです。こんなに面白い小説はないと思って、田中先生だけでなく、それらの本と同じノベルスの形で出版されている小説を追っていこうと思いました。そこで山田風太郎さんや夢枕獏さんや菊地秀行さんの作品に出合って、その延長線上として小学校6年の時に綾辻行人さんの作品と出合ったんです。