大学受験からの逃避で小説の執筆に没頭した
――後にデビュー作となる『冷たい校舎の時は止まる』(2004年刊/のち講談社文庫)は、高校時代に書きはじめたんですよね。
辻村 高校3年生の夏くらいに『子どもたちは夜と遊ぶ』の原型になったものを書きあげて、その時にこれからは受験勉強があるから小説は書かないと言っていたんです。でも受験が嫌で嫌でたまらなくて、息抜きにと思ってセンター試験の準備をしなきゃいけない11月くらいから書きはじめたんです。どうかしていたとしか思えない(笑)。でも他にやらなきゃいけないことがある時に小説を書いたり読んだりするのって、すごく面白いんですよね。それで『冷たい校舎の時は止まる』を書くのがもう楽しくて楽しくて。
それまで書いたものは、理帆子は背伸びをした高校生だし、浅葱たちは大学生でしたが、はじめて自分と同じ地平を見ている子たちを主人公にしたんです。今、文庫で上下巻で出ていますけれど、その上巻から下巻に入って少しぐらいのところまでを11月から2月の終わりぐらいまでに書きました。なんか、よく大学に入れたなあと……。千葉大って素晴らしい。私みたいなものを入れてくれて。
――『冷たい校舎の時は止まる』は、雪のある日、不可解な現象によって校舎に閉じ込められた8人の生徒の話。謎と向き合ううちに彼らは学園祭での自殺事件に思い当たるけれど、なぜか全員、死んだクラスメイトの名前が思い出せない。自殺者は誰かを探っていく青春ミステリーですね。これはプロットもかっちり決めて書きはじめたのですか。
辻村 誰が自殺者かはまったく決めずに書きはじめました。ただただ自分のいる環境に近いもの、この中の誰か一人が死んでいるというミステリーの舞台設定をやりたくて書いていました。
――それを途中まで書いて、大学に進学して。ミステリー研究会があるから千葉大を選んだと前にうかがいましたが。
辻村 綾辻さんや有栖川さんの書くミステリ研にものすごく憧れて、絶対にもう大学生活=ミス研に入るということしか考えていませんでした。その時に雑誌の『ダ・ヴィンチ』が大学のミス研の人たちにインタビューする特集記事を組んでいて、そこに千葉大もあったんです。いきたい学部もあったし、それで千葉大が第一志望になりました。
――思い通りの大学生活を送れましたか。
辻村 千葉大の「推理小説同好会」に入って、ミステリーの話ばかりできるのがすごく楽しかったです。研究のような活動はほとんどしなかったんですけれど、「うちらは同好会で“研究”とか一言も言ってないし」って(笑)。みんなで集まって読んで話すだけという感じでしたが、『ふちなしのかがみ』(2009年刊/のち角川文庫)に収録されている「ふちなしのかがみ」と「おとうさん、したいがあるよ」という短篇はその頃の会誌に書いたものです。
――「ふちなしのかがみ」は正当的なホラーですが、「おとうさん、したいがあるよ」は死体がどんどん出てくるという、ユーモラスな話でしたね。
辻村 そうそう、それで在学中はみんなから「あの話、なに?」と叩かれました(笑)。『冷たい校舎の時は止まる』は、大学生活が楽しくて、ずっと止まっていたんですね。ところが、大学4年生の時に遊びに来た友達が部屋から発見して「何、このルーズリーフの束は」と言われて「私、小説を書いていたんだよね」と言ったら持ち帰って読んでくれたんです。それで、「続きが気になるから、最後まで書いたほうがいいよ」と言われて。ここで背中を押してくれたのが、「就職活動が嫌だ」という気持ちで(笑)。
――いつも現実から逃れたい気持ちが原動力に(笑)。
辻村 手書きのルーズリーフの束のままじゃ駄目だと思い、みんなに読んでもらえる状態にするためにデータ化していくうちに、だんだんと頭の中で自殺者が誰かというのも出来上がっていきました。辻褄が合っていない部分を調整したり、登場人物を少し減らしたりもしました。それも「面白い」「続きが気になる」と言ってくれる子たちがいてくれて、ならばきっとほかにも読んでくれる人たちがいるだろうという気持ちになれたので、すごく感謝しています。
――卒業して地元の山梨に帰って団体職員になったのは、小説を書き続けるためだったんですか。
辻村 そうです。教育学部だったので小学校の先生になる気満々だったんですよ。私の小説を読めば分かると思いますが、私は学校があんなに嫌いだったのに(笑)。今考えると、なんでだろう……。よくも悪くも学校という場に魅せられ続ける生き方をしていると思います。でも大学在学中、横で教員を目指している友達を見ると、採用試験のこととか、みんな教員という道に向けて命がけでやっているんですね。私はそこまで考えてなかったし、自分はどの仕事に就くにしても、小説を書くことをメインに考える人生を送るだろうと思ったんです。だったら私は小説家になることに軸足を置いた就職をしようと思い、地元に戻って就職して、小説を書くということになりました。でも、まわりに小説家や漫画家を目指して、時間確保のために就職せずにストイックに取り組んでいる同級生も多かったので、なにか後ろめたい気持ちもありました。