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環境が変わり、仕事がどんどん楽しく

 父・康之の「障がいやハンディがある人々も楽しめる場所を作りたい」という想いが梅守の能力を開花させる。康之は梅守の持ち前の度胸とコミュニケーション能力の高さを見抜き、信頼して営業を任せ、梅守もその想いを受け止めた。

「その後、奈良、京都、東京、大阪と4店舗の展開をしました。ある程度の事業規模に育ったので、忙しくてしんどかった。でも、海外営業にも行けるようになり、駅の中の店でお寿司を売っていたときとは環境が変わり、仕事が楽しくなっていきました」

ダイニングはコの字カウンターでアットホームに
夕食にて供されるお寿司。見た目は可愛らしく、味は優しい。
 
 
 
 

仕事への手ごたえと地元への意識の芽生え

「そのころ、旅行会社さんがインバウンド向けに神社仏閣だけではない企画を求め始めていました。私も山添村の中で何かできないのかな? と思い始めていたので、タイミングがちょうどマッチしたんです。そこで、村の農作物の収穫体験や、お茶の淹れ方の体験ツアーの資料を作って旅行会社に配りました。それを見たイギリスの大手の旅行会社さんが、このような田舎体験をツアーの中に組み込みたいってお声がけくださったんです。

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 そのときに私は、近所の高齢の方に力をお借りしたんです。今まで観光の場所には参加されなかった、近くのお茶農家の方などを、私が責任をもってコーディネートしました。そうしたら、全世界の英語圏の人たちが集まってくださって、2週間のバス旅の一つの名所として、うちに来てくださるようになりました」

 あれだけ嫌だった仕事に少しずつやりがいを見出していく梅守。変化のきっかけとなったのは、価値観の違う人々との出会いだった。

「うちは寿司製造メーカーなので、薬師寺とか東大寺といったお寺さんがお客さんにいらっしゃるんですよね。寺の跡取りって大体世襲なので、私と世代の近いお坊さんたちは、どこか感覚的に共通するものを持っています。その中の1人に村上定運さんという方がいらっしゃいました。定運さんが、『自分のいる環境は変えられへんから、今いる環境をどう楽しく生きるかという考え方に、思考回路を変えたほうがいいよ』って話をしてくださった。はっとしました。