33歳のオーナー、梅守志歩の人生も波乱万蒸だった。
家族のために、断腸の思いで家業を継承
「私は四姉妹の三女で、一番上の姉が私が20歳の時に後天的な重度の精神障害を患い、その2年後に妹が白血病になりました。姉と妹が病気だったこともあって、幸せな家族が増えるようなことを自分の仕事を通して実現したいという思いがずっとありました。社会や未来の前に、目の前の人をハッピーにしたいと思っていたのです。
大学時代には京都の結婚式場で3年半ぐらい働きました。結婚式の仕事は家族を作る原点だと思っていたし、大好きだったんです。でも結局結婚式の仕事には就職できず、IT系の不動産の仕事に就職しました。ただ、父から、3年で辞めて実家の製造業に戻ってくれと言われていたんです。だから、『やれる事は何でもやりたいです』ってお願いして、ガムシャラに働いて賞も頂きました。そうしたら会社を辞めるときに、知り合いの方に、結婚式の企画会社を立ち上げるから手伝ってほしいと誘われました。
見える世界のギャップ
もともと結婚式の仕事をやりたかったので、立ち上げの2,3年だけ一緒にやって実家に戻るといった選択肢はないかなど、父と揉めに揉めました。結局、『絶対あかん』って言われて、本当に嫌々実家に戻って(笑)。もう少し外で自分の力を試したかった。今思えばすごいおこがましい話なんですけど」
家業は奈良市に拠点を持つ『梅守本店』。1994年、父・康之と母・節子が創業した寿司製造販売の会社である。今をときめくIT企業から地元の製造業への転職。見える世界のギャップは、若き日の梅守を大いに悩ませた。