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《ゴルファー横田真一を襲った“魔病”》「本来の打ち方は無理」それでも“イップスになってよかった”と考える納得の理由

『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』より #2

2021/10/10
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 尾崎将司もミラクルショットを打っているときに般若心経の最後の部分を唱える。

「羯諦羯諦波羅羯諦(ぎゃていぎゃていはらぎゃてい)」

〈往き往きて、彼岸に往き〉という意味である。横田は信じられず、尾崎に本当なのですかと聞いたら、彼はあっけらかんと答えた。

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「俺は臆病な男だから、本当だよ。そこを唱えると阿弥陀如来が自分の中に出てきて怒られるんだよ」

 尾崎は信仰心が篤いから、ショットを打つときだけでなく、試合の朝の練習前にも神棚と仏壇に手を合わせてから始める。それも彼なりの副交感神経を高めるやり方なのである。

 横田のイップスの状態は好転し、何とかシード権を確保したまま平成22(2010)年を迎えた。10月になった時点で賞金ランキングは91位。この年もシード落ちのピンチを迎えていた。駄目だったらファイナルQTを受けることになる。

 そんな状況のとき、10月7日から10日まで行われるキヤノンオープンに横田は出場した。場所は神奈川県戸塚カントリー俱楽部である。じつは、この大会は選手会長時代に、男子トーナメントの減少を心配して、キヤノンに掛け合って生まれた試合であった。

 そんな因縁の大会だが、横田はここでも小林の助言を忘れなかった。

 ふつうは会場の傍のホテルに泊まったほうが臨戦態勢も高まり、気合が入る。これまでは家から通うと気が抜けると思い、ホテル住まいだった。しかし、彼はあえて都内の自宅から通う方法を選んだ。ホテルだと焼き肉などを山盛り食べてしまい、消化器系を酷使してしまう。それでは自律神経の活動が下がってしまう。家では妻の手料理も食べることができ、また量も少なめにしてもらえるから、副交感神経も高いレベルを維持できる。

 この選択は吉と出た。

石川遼を振り切って優勝

 大会2日目に横田は首位タイに躍り出た。とくに前半の9番パー4では、122ヤードの2打目をピッチングウェッジで直接カップに入れるという、ミラクルイーグルを記録。5位から一気に1位になった。3日目には、この時点で賞金ランク1位の石川遼、谷原秀人と首位に並んだ。この夜、大雨が降った。明日も雨が降ることだろう。横田は雨で中止になるように祈った。このとき、順天堂大学の小林から電話がかかってきた。

「トップで凄いじゃないですか。今何をやっているんですか」

「神に祈っている」

「何を祈っているんですか」

「明日大雨になってほしいと祈っている。大雨になれば中止になって、僕は暫定首位ですから」

 前述したように、このとき3人が首位にいたが、中止になると、後日3人でのプレーオフとなる。そうなれば優勝できなくても、2位タイが確定する。これでシード権も確保できると考えたのだ。

 だが、小林は言った。

「横田さん、明日は晴れだと言っているから、そんなばかげたことやるよりも、少しでもパットの練習やったらどうですか。呼吸に合わせてやるようなパットの練習やったほうがいいですよ」