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《ゴルファー横田真一を襲った“魔病”》「本来の打ち方は無理」それでも“イップスになってよかった”と考える納得の理由

『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』より #2

2021/10/10

 翌日は朝から雨が降っていた。開始の時間を見合わせることになり、1時間を過ぎても始まらない。だが小降りとなり、空は徐々に明るくなった。さらに50分後に雨は止み、曇り空で試合は開始される。やがて空に晴れ間も見えるようになり、午後は快晴になっていた。

 この頃には、横田の逃げの姿勢も消えていた。彼は回想する。

「午前中は雨でしたから低気圧になっているわけです。血管が弛緩して血流が穏やかになって、心拍数も少なくなっている。雨の日は眠いですね。副交感神経優位の状態ですね。それがよかったです。最終組で谷原と石川がいましたが、彼らはバリバリやれる世代で活躍しています。ふつうは僕が重圧を感じて交感神経が高まるわけです。だけど、雨模様で副交感神経が優位になったのはよかったです」

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 加えて、横田にとってよかったのは開き直りができたことだ。優勝を前にして、記者は「明日はどのくらいを目標に」と聞いてきた。彼がためらわず「85くらいで打ちますよ」と語ると、記者はそんな悪い数字は冗談だろうと思った。

「85を打つぞ、と自分に言い聞かせていました。記者は笑うのですが、そうすると自分の心がどんどん楽になったんです。ふつう、マイナスのイメージは駄目と言うじゃないですか。でも、本当に緊張したときは開き直りも必要なので」

 最終日の会場のギャラリーには、石川遼見たさに1万3698人が集まった。会場を石川のファンが埋め尽くしていた。石川への声援が響く中、横田はいつものプレーを心がけた。

 このとき小林は事前に横田に伝えていた。石川が猛追している、優勝がかかってくると勝負は18番になるだろう、いざというときは、いろいろ考えるよりも、その辺の草を取ったり、草の匂いを嗅いだりしたほうが効果的だと。さらに、すべて起こりうることを想定内にしたほうがいいとも助言した。想定外のことが起こると人間の自律神経は乱れる。すべてを想定内にする。

 横田は小林に言われたように、会場で草木の匂いを嗅ぎ、息を大きく吐き、手が温かくなるイメージもした。副交感神経が高まると手足が温かくなるからだ。

 実際に、試合中に右のバンカーに入ったが、横田はそれも想定内のこととしてとらえていたので、慌てることはなかった。そこからグリーンに2オンして2パットで石川に競り勝った。横田は14アンダーだったが、3番パー4では101ヤードの2打目をカップに直接入れてイーグルを決めた。このショットは、横田にとって忘れられないものとなった。その後4つのバーディを取ったのも大きかった。石川は後半、猛烈に追い上げたが12アンダーと及ばなかった。

 横田にとっては13年19日ぶりの2勝目で、これは史上2番目の長いブランクだった。彼は再び2年間のシード権を確保した。

「あのときシード枠を断ってよかったと初めて思えた」

 横田は実感した。彼の目には、夕焼けに照らされた山稜のきれいな線が見えた。